ツーリズムにとって歴史とは何か。文化財の存在にどのような意義があるのか。バブル期に各地にテーマパークが乱立していたのを憶えておられよう。異文化系や時代劇系、メルヘン系、リゾート系など多種多様だったが、成功したのはごくわずかだ。このブログでも異文化メルヘンの倉敷チボリ公園、その最後の姿をレポートしたことがある。
本日は柴又帝釈天の話をするが、こちらは相変わらずいつもの賑わいである。テーマパークは衰退し帝釈天は栄え続ける。何が異なるのか。信仰か、入場料か、立地条件か。私はやはり歴史だと思う。文化財というホンモノの迫力ではないだろうか。
葛飾区柴又七丁目の柴又帝釈天周辺が「葛飾柴又の文化的景観」として国の文化財「重要文化的景観」に選定される見通しとなった。文化審議会が先月17日に選定候補として答申したのだ。
写真は参道入口と「二天門」である。明治29年建築の「二天門」は、日光の陽明門を思わせる重厚な造りで、圧倒的な存在感がある。文化的景観の重要な構成要素の一つだ。参道入口に掲げられている提灯には「高木屋」「松屋の飴」「い志い」「亀屋」「大和屋」「ゑびす屋」「市河屋」「川千家」と書かれている。いずれの店も重要な構成要素である。「帝釈天で産湯を使い」で紹介した「御神水」もそうだ。
門前の賑わいを伝える川柳がある。東京市葛飾区編『葛飾区史』(昭和11)より
ほし見世に 柴又村が、幅をする
「ほし見世」とは露店のこと。「幅をする」とは幅を利かせること。私の解釈はこうだ。柴又村の人々は露店を出すのに慣れていた。商売上手は他地域にも知られており、柴又村は一目置かれていた。露店は柴又村にはかなわねえ、ってところか。
門前にある丸型ポストが、光を浴びてひときわ鮮やかだ。戦後の昭和を生きた者にとっては、ポストといえばコレという印象だが、今や角型がスタンダードで、丸型は絶滅危惧種となっている。丸型ポストは23区内には5基しかないと聞く。その1基が写真のポストで、柴又の文化的景観に興趣を添えている。ぜひとも重文景の構成要素としてもらいたいものだ。
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