各地に残る横穴式石室は、千数百年の時を経ても地震で崩れていない。これは当時の土木技術の高さを示している。とりわけ天井石の大きさには驚かされる。こんな巨石をどのようにして載せたのか。
浅口市寄島町に「福井古墳」がある。浅口市指定文化財である。
けっこう埋もれているようだが、天井石の大きさがよく分かる。説明板は県道からの入口にある。読んでみよう。
古墳時代後期(6世紀~7世紀)の小型横穴式石室墳である。石室は長さ2.6m、巾1.45m、高さ0.7mで天井石2枚が残されている。町内に現存する古墳では最も原形をとどめており町内の重要な古代史跡である。
地域の有力者が葬られたのだろう。古墳の主について、昭和61年発行の寄島町文化財保護委員会『寄島風土記』では、次のように考察している。
古墳に葬られた豪族は、集落の頭首として、農耕、開墾、水利工事等の指揮をとり、争いを仲裁して集落を統べ、力をもつ支配者となり村づくりに貢献した権力者であったが、巨大な岩石を運搬してこれを積み重ね、土を盛った古墳の築造にはこの地方でも豪族の権力に隷属した先住民の苦役があり、驕る豪族の権威に屈して賦役と徴税に忍従する住民の苦しい村づくりであった。
確かに、大きな石を切り出して積み上げるのは容易なことではない。ムチを手にした役人が、人々を奴隷にように働かせたのでは、と想像してしまう。エジプトのピラミッドがそんなイメージだ。
ところが、近年の研究によれば、ピラミッド建造は奴隷労働ではなく、農閑期の農民が雇用労働者となり、相応の対価を得ながら従事した公共事業らしい。かの吉村作治先生は「報酬としてビールが与えられていた」と指摘している。
とすれば、日本の古墳もまたしかり。農作業のない冬に農民を集めて古墳を造らせ、報酬として米を与えていた。冬のボーナスには日本酒が出た。一方的な搾取だけでは生産性が向上しないはずだ。頑丈な石組みのヒミツは日本酒にあった。そんな楽しい想像をしてしまう。
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