驚くべきことに「奈良の大仏」は二つあるという。一つは東大寺にあるが、もう一つは千葉県にあるそうだ。関西と関東に一つずつだ。関西のほうは「リリパット国の大仏」でレポートした。関東の「奈良の大仏」は本当にあるのか。さっそく行ってみよう。
あった。市原市奈良の「奈良公園」に「奈良の大仏」がある。市指定文化財である。ちなみに東大寺の大仏は国宝である。
JR外房線誉田駅から歩くこと1時間半。関西の奈良公園は近鉄奈良駅から散策気分で行くことができるが、今回はトレッキングに近い。やっとのことで「奈良公園」に着いたが、木が茂るばかりで大仏殿が見えない。それもそのはず、関東の「奈良の大仏」は露座だったのだ。東大寺の大仏をイメージしていると小さく見えるかもしれない。だが、こちらの仏様は高い台座の上に立っていらっしゃるので、けっこう大きいのである。
大仏の周りを回って写真を撮っていると、少年が一人やってきた。聞けば中学生で歴史が好きなのだという。八幡のほうの中学校だと言っていたから、ここまではずいぶん遠い。探究心のある若者に出会うことができ、日本の将来に希望が持てた。
そういえば、私が初めて東大寺の大仏を見たのは、修学旅行の時だ。本物が発する迫力をひしと感じ、とても勉強になった気がする。関東の「奈良の大仏」にも、市内の中学生が学を修めるために訪れている。東西並び称されるだけの価値はある。
ところで、なぜ関東に「奈良の大仏」があるのか。市原市教育委員会の説明板には、次のように記されている。
当地は将門伝説と風光の美しさで知られ、等身大の石造釈迦如来立像が鎮座し、以前より奈良の大仏の名で親しまれている。
平将門と奈良の大仏とは、どのような関係があるのか。詳しい情報を求めて『千葉県市原郡誌』(大正5年)で調べてみた。
本村奈良区にあり、相馬の里に拠りたる平将門、上野郷を南都に擬し、奈良と称するや、盧舎那仏立像をこの地の東北に建つ、奈良大仏これなり、仏高丈六、承平元年辛卯年奉建立の文字を刻す、然れども現存するものは、中古破壊し、之を修繕せしものなりといふ。(市東村誌)
平将門の相馬偽宮については「住めば都の幻の王城」でレポートした。また、本拠地周辺を山崎や大津など京周辺の場所になぞらえたことを「平将門の都構想」でレポートした。確かに「相馬偽宮」のある守谷市と「奈良の大仏」のある市原市は、京都と奈良のように南北の位置関係となる。関東の大仏は、将門の都構想の一環だといえよう。
台座には、次のように刻まれている。
承平元辛卯
春建立
再三之造立
八百七拾四年自
文化元甲子歳
釈迦如来
十月十六日
玄題三千部
上総国市原郡
奈良村
承平元年(931)に建立されたが、二度も三度も造りなおされ、874年の時を経て文化元年(1804)に現在の仏像ができた。先の東日本大震災で倒壊したものの、見事に復興し今の姿がある。
聖武天皇は鎮護国家の思想により奈良の大仏を造立した。平将門は関東の自立を目指して「奈良の大仏」を建立した。東西二尊の「奈良の大仏」が我が国を守ってくれているなら、現在のミサイル危機も切り抜けられるのではないだろうか。
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