『ターヘルアナ富子』という女子高生が手術する破天荒なマンガがあった。決めゼリフ「おぺしましょ」は、「私、失敗しないので」(大門未知子)と同じくらい流行る可能性があったものの、連載が長続きしなかった。意味不明に見えるタイトルは、オランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』のパロディである。
この難解な解剖書を分かりやすく伝える者がいたからこそ、我が国の医学は進歩したのである。たとえば、この男たち。 蘭書に出会い、その正確さに驚き、翻訳に挑む。オランダ語の知識と叩き上げのスキルだけが彼らの武器だ。蘭学者、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵。またの名を、ドクター何? さっそく始めよう。
東京都中央区明石町に「蘭学の泉はここに」という記念碑がある。前回紹介した「慶應義塾発祥の地」と合わせて「日本近代文化事始の地」と呼ばれている。
「蘭学の泉はここに」という碑名は詩的で美しいが、何のことかわからない。右側の石に刻まれた『解体新書』の人体図がヒントとなる。左側の碑文を読んでみよう。
一七七一年・明和八年三月五日に杉田玄白と中川淳庵とが前野良沢の宅にあつまった。良沢の宅はこの近くの鉄砲洲の豊前中津藩主奥平の屋敷内にあった。三人はきのう千住骨が原で解体を見たとき、オランダ語の解剖書ターヘル・アナトミアの図とひきくらべてその正確なのにおどろき、発憤してさっそくきょうからこの本を訳しはじめようと決心したのである。(後略)
このシーンは、今年のNHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」でも描かれていた。三谷幸喜脚本のテンポよいドラマで、良沢を片岡愛之助、玄白を新納慎也がそれぞれの性格を上手く演じていた。『解体新書』に良沢の名が記載されていない事情もよく分かった。良沢の名は記載されずとも、今、良沢の名なくして蘭学史は語れない。
『解体新書』5巻は安永三年(1774)8月に完成した。「神経」「軟骨」「動脈」などの訳語はこの時つくられ、今や当たり前のように使われている。「蘭学の泉はここに」という碑名は、近代医学の源流がこの地にあることを示しているのだ。
翻訳が中津藩中屋敷で行われたのは、藩医である前野良沢宅があったこと以上に、藩主の奥平昌鹿の理解があったからである。杉田玄白『蘭学事始』には、次のように記されている。
元来其号を楽山と呼びしが、高年の後自ら蘭化と称せり。これは昔し君侯より賜りし名なりと。これは君侯常に、良沢は阿蘭陀人の化物なりと、御戯れにの給ひしより出たり。其寵遇かくのごとき事にてありたり。これ故良沢心のまゝに、其学の修行出来たる事なり。
良沢はもともと楽山と号していたが、年を取ってから蘭化と称した。これは昔、主君の奥平昌鹿公から賜った名だという。昌鹿公は常に「良沢はオランダ人のバケモノじゃ」と冗談でおっしゃっていたことに由来する。良沢はこのように殿から目をかけられていたのだ。だから、思うままに学問の道を究めることができたのである。
杉田玄白と中川淳庵は若狭小浜藩の人であった。良沢と淳庵はオランダ語ができたが、玄白はできなかった。しかし、玄白には人を動かす力があった。彼の回顧録『蘭学事始』は現代の人の心をも動かし、名声を不動のものとしている。翻訳の苦労が記録されているので読んでみよう。
又或る日鼻の所にて、フルへッヘンドせしものなりとあるに至りしに、此語わからず。是は如何なる事にてあるべきと考合しに、いかにもせんやうなし。其頃ウォールデンブック(釈辞書)といふものもなし。ようやく長崎より良沢求め帰りし、簡略なる一小冊ありしを見合たるに、フルへッヘンドの釈註に、木の枝を断ちたる迹、其迹フルへッヘンドをなし、又庭を掃除すれば其塵土聚り、フルへッヘンドすといふ様によみ出せり。これは如何なる意味なるべしと、又例のごとくこじつけ考ふ合ふに、弁えへ兼たり。時に翁思ふに、木の枝を断りたる跡癒れば堆くなり、又掃除して塵土あつまれば、これもうづたかくなるなり。鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、フルへッヘンドは堆(うづたかし)といふことなるべし。
ある日、「鼻」について記されている箇所で、「フルへッヘンドせしものなり」とあったが、さっぱり分からない。どうなっているのか考えたが、どうにもならない。その当時は本格的な辞書がなく、良沢が長崎で買い求めてきた簡単な辞書があったので調べると、「フルへッヘンド」の説明に「木の枝を切るとその痕にフルへッヘンドができる」「庭の掃除でチリを掃き集めるとフルへッヘンドする」と出ていた。これはどういう意味かと、いつものように日本語をいろいろと当てはめてみるが得心がゆかない。やがて私は気付いた。木の枝を切ると、その痕がかさぶたのように盛り上がり、掃除すればチリはうずたかくなる。同様に鼻は顔の中でうずたかいものだから、フルへッヘンドは「うずたかい」ということだろう。
このエピソードは玄白の創作か勘違いだ、とドラマで解説されていた。『ターヘル・アナトミア』には「フルへッヘンド」という単語はないらしい。だが、このような並々ならぬ努力があったことは確かだろう。努力に失敗はつきものだ。失敗があるから努力しようとする。玄白は『養生七不可』の第一に、次の句を掲げている。
昨日非不可恨悔 《昨日の非は恨悔(く)ゆべからず》
昨日の失敗を後悔するな。くよくよせずに前へ進め、という警句だ。玄白先生に言わせると「私、失敗しても気にしないので」なのかもしれない。
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