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明治維新150年とはいえ、お祝い一色ではないのは歴史に対する見方が成熟した証拠だろう。尊王の志士による英雄的な行為を称賛するのではなく、彼らの行動はテロではなかったかと懐疑的な見方が登場するなど、維新に至る過程が冷静に分析されるようになった。高大連携歴史教育研究会が昨秋、坂本龍馬や吉田松陰を歴史教科書から削除してはどうかと提案した。英雄史観からの脱却の動きとして歓迎したい。
明治維新における薩摩や長州、土佐の働きについては、その評価を見直すべきだと思うが、扱いに苦慮するのは水戸である。尊王攘夷の先鋒として幕末への潮流を起こしながら、維新以後に語るべきことがない。そんな水戸藩の終焉の一つを、本日は語ることとしよう。
敦賀市松島町二丁目に「武田耕雲斎等墓」がある。国指定の史跡である。
墓の前には耕雲斎の像がある。日本芸術院賞受賞作家の佐藤助雄の作品で、度量ある耕雲斎の人柄がうまく表現されている。水戸藩の有力者がなぜ敦賀の地で処刑されたのだろうか。ことの始まりは筑波山で起きた。このことは、その後の顛末を含め「千万人と雖も吾往かん」で紹介している。
筑波山に始まり敦賀に終わる一連の出来事を「天狗党の乱」といい、大きく言えば、水戸藩内の尊攘激派(天狗党)VS保守派(諸生党)という争いである。元治元年(1864)3月27日、天狗党は横浜鎖港を訴えて挙兵し、関東での戦いに敗れた後は、京に滞在している徳川慶喜を頼って西上した。慶喜も横浜鎖港を主張していたからである。
ところが、幕府内で天狗党に融和的だった政事総裁職・松平直克が失脚し、7月19日の禁門の変で長州勢と戦った慶喜も、尊攘派に同調してきたこれまでの態度を改める。これにより、天狗党の鎮圧は幕府の方針として統一された。
慶喜が追討の意向であることを知った天狗党は12月17日、加賀藩に投降した。加賀藩は厚遇したものの、年が明けた1月末、若年寄・田沼意尊は823名を鯡倉(にしんぐら)16棟に収容した。
敦賀市松原町に「水戸烈士記念館」がある。これは、かつての鯡倉を移築したもので、当時は北東のより海に近い場所に並んでいたようだ。
投降者は形式的に取り調べを受け、2月4日に武田耕雲斎ら25人、15日に134人、16日に103人、19日に75人、23日に16人、計353名が処刑された。これに続いて水戸藩では、諸生党の市川三左衛門が天狗党関係者を徹底的に弾圧した。耕雲斎ら幹部の首級は水戸で晒され、耕雲斎の家族は3歳の子に至るまで処刑されたという。
耕雲斎の長男彦衛門は父とともに処刑されたが、その長男、耕雲斎の孫の金次郎は遠島処分となり生き永らえることができた。明治になって藩の実権を握り、諸生党に対し徹底的に復讐した。維新後の藩閥政府に水戸藩出身者がいないのは、有為な人材をことごとく党派抗争で失ったからだと言われている。
天狗党は確かに、秩序を乱す好ましからざる集団であった。しかし、彼らに対する仕置きが大量処刑であったことが妥当だったのか。一罰百戒で権威を維持しようとした幕府だが、長州藩の激しい抵抗で終焉を迎えることとなる。
薩摩藩や長州藩にとっての明治維新は分かりやすい。新しい国をつくったのだから。しかし、幕末にあって薩長を含め憂国の志士は皆、尊王攘夷派だった。その潮流を起こした藩こそ水戸藩であり、天狗党の行動は彼らの思想の発露だった。それゆえに、天狗党の乱は明治維新の魁ともいえるし、薩長が行ったのと同じようなテロリズムだったともいえる。
天狗党の一連の行動は、おそらく武田耕雲斎の本意ではなかっただろう。彼は責任をとることのできる大人物であった。憂国の若者を見捨てるわけにゆかなかった。西南戦争における西郷どんのように。最後に耕雲斎の漢詩を紹介して記事を閉じることにしよう。吉村岳城『朗吟詩撰』日本芸道連盟より
失題
崖山(がいざん)の妖血(えうけつ)乗輿(じようよ)を汚(けが)す
礼楽(れいがく)衣冠(いくわん)地を掃(はら)つて虚(むな)し
却(かへつ)て怪(あやし)む文章経学の士
年来畢竟(ひつきやう)何の書を読む
崖山の戦いで南宋の幼帝衛王は、元の武将張弘範によって死に追い込まれた。同じように今、神国日本が外国勢力によって汚されようとしている。
人としての礼節や人心を感化する音楽、正しい服装は、すっかりなくなってしまった。
詩文や歴史、経書を講ずる者は、いったい何の本を読み、何を教えてきたというのか。
耕雲斎のやみがたい憂国の情が伝わってくる。この思いは一人耕雲斎のみならず、各地の志士に共有されていた。それが倒幕の原動力となったことは確かだ。昨今、政府が「人づくり革命」「働き方改革」などと叫んでいるが、「革命」は本来、草莽の人々が発すべき言葉だ。明治維新150年は、政府と国民との関係を問い直す機会であらねばならない。
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