「クジラの竜田揚げ」は懐かしい給食の代表格だ。肉食ってる!感じがして、楽しみにしていたものだ。たまにコッペパンが揚げパンになっていたりすると大興奮である。手を砂糖と油まみれにしながらかぶりついていた。
アルマイトの食器も給食ならではだ。現在は強化磁器や箸が用意され、食事のマナーを学ぶ場にもなっているようだが、腹の減った子どもたちにとっては、先割れスプーンでもアルマイトでも、そんなことは関係なかった。
真庭市鍋屋に「旧遷喬(せんきょう)尋常小学校校舎」がある。
明治40年の建築で、国の重要文化財に指定されている。設計は岡山県の建築技師、江川三郎八である。数々の江川建築のうち、閑谷学校資料館(備前市閑谷)や旧旭東幼稚園園舎(岡山市北区二日市町)も学校建築であり、格調の高さは健在である。
この旧遷喬尋常小学校では、「なつかしの学校給食」というイベントを行っている。今年4月5月の献立は、もちろん期待の「クジラの竜田揚げ」だそうだ。学生服の貸出もあるというから、昭和レトロのちょっとしたテーマパークである。
「遷喬」という格調高い校名は、儒者・山田方谷が名付けたという。出典は、『詩経』(小雅)の「伐木(ばつぼく)」という詩だそうだ。その一節を引用しよう。
木を伐(き)ること丁丁(たうたう)たり、鳥鳴くこと嚶嚶(あうあう)たり。幽谷(ゆうこく)より出て喬木(けうぼく)に遷(うつ)る。嚶(あう)として其れ鳴く、其の友を求むる声。彼の鳥を相(み)るに、猶(な)ほ友を求むる声あり。矧(いはん)や伊(こ)れ人、友生(ゆうせい)を求めざらんや。神も之を聴かば、終(つひ)に和し且つ平らかならん。
木を伐る音がする。鳥の啼く声がする。鳥は深い谷から出て、高い木にうつった。鳴き声は友を求める声なのだ。あの鳥もやはりそうだ。ましてや人ならば、当然に友を求めるだろう。互いに友好関係を築くならば、神の祝福により平和が訪れることだろう。
なんと美しい詩であろうか。「平和」という概念は、古今を通じて不変であることが分かる。校名となった「遷喬」という言葉には「高い地位に昇進する」という意味があるようだが、小学校ならば「友を求むる」ことのほうが大切だと思う。
本日、南北朝鮮の歴史的な首脳会談が行われた。友を求めることが平和への第一歩なのだ。金委員長と文大統領がそのことを、身をもって世界に示してくれた。対話に意義を見出そうとしなかった我が国の安倍首相の目に、両首脳の笑顔はどのように映ったのだろうか。
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