歴史には時々、世紀の大発見がある。宮城県の上高森遺跡では、平成11年に70万年以前の地層から石器が発見され、列島史が大きく塗り替えられた。と思ったら、捏造だった。
いっぽう、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣から見つかった雄略天皇の名前は、本当に日本史を塗り替える大発見だった。昭和53年の出来事である。
行田市埼玉に国指定史跡「埼玉古墳群」のうち「稲荷山古墳」がある。
墳丘の全長が120mの前方後円墳である。前方部は昭和12年に土取りのために失われていたが、平成16年に復元された。鉄剣は昭和43年の発掘調査で発見され、その10年後に金象嵌の銘文が発見された。
近くの埼玉県立さきたま史跡の博物館に「金錯銘鉄剣」が展示されている。稲荷山古墳から出土した鉄剣で、国宝に指定されている。
この鉄剣の価値としては、115字という文字数の多さ、471年とされる製作年代、雄略天皇(ワカタケル大王)の名前の三点が挙げられるだろう。関係部分は次のとおりだ。
辛亥年七月中記
(471年7月に記す)
名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今
(名はヲワケの臣、先祖代々「杖刀人」の長として、今に至るまで仕えてきた)
獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下
(ワカタケル大王が「斯鬼宮」にいらした時に、私は大王が天下を治めるのを助けた)
上の写真はワカタケル大王の部分である。ちなみに、杖刀人とは護衛官のこと。また、斯鬼宮(しきのみや)とは今の奈良県の磯城(しき)地方で、泊瀬朝倉宮(桜井市黒崎の白山神社)と考えられている。
以前の古代史は、日本書紀や古事記を史料として描かれていた。記紀を編纂する中央政府にとって都合よく、東国支配を誇大に記述することもあり得ただろう。
しかし、大王と彼に仕えていた人の名が年代とともに刻まれた鉄剣が、地方から発掘されたのである。つまり、5世紀半ばに大和王権の支配が東国に及んでいたことを示す確固たる証拠というわけだ。
ミュージアムグッズで「鉄剣鉛筆」を買った。「獲加多支鹵大王」など銘文の一部が金文字で刻まれた優れモノである。鉛筆だから使えばよいのに、どうも削る気にならず、そのまま飾られている。
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