「矢切の渡し」は細川たかしのヒット曲かと思ったら、今も営業している本当の渡し舟だった。柴又帝釈天までは行ったことがあるが、その先の「矢切の渡し」は知らなかった。分かっていれば乗ったのに。舟が結ぶのは柴又(葛飾区)と矢切(松戸市)、間に流れているのは江戸川である。
本日は渡し舟に関する珍しい石碑を紹介する。
安芸高田市高宮町佐々部に「下川毛の渡しの石標」がある。昭和47年の洪水により発見されたものである。
碑の向こうには、JR三江線の川毛踏切、江の川に架かる式敷大橋が見える。ここには、江の川の舟運がさかんだった時代に、船着き場があったそうだ。橋が架かったのは昭和28年。それまでは渡し舟が運航していた。
川幅は80mくらいで、ダムのない時代の水量は今よりも多かった。石碑の発見によって、かつての渡し舟事情がかいま見える。碑文を読んでみよう。
定 佐々部村
一当横渡 ちんせん
五もん
尤水はかり余ハ 三分
安政五年
午二月 調之
通常は「五文」、限度以上は「三分」と、水量によって運賃に差が設けられていた。増水の際は危険を伴うことから、かなり高額に設定されているようだ。そう思えば、橋の何とありがたいことか。車で渡ればあっという間で、しかも無料だから何も思わないが、橋なくして生活は成り立たない。
かつて重要な交通手段であった渡し舟は、架橋によって消え去った。そして、道路網が整備され交通の便が一層よくなった今、ひとつの鉄道が消えていった。
川毛踏切から少し上り方面(江津方面)に「式敷(しきじき)駅」がある。いや、あった。今年3月末をもって三江線は廃止されたのである。横断幕のすぐ向こうに貨物ホームがあり、物流の拠点にと期待されたようだが、使われることはなかったらしい。
確かに、乗って繋がればよかったのだが、時代とともに変化する交通事情はいかんともしがたい。三次方面には、安芸高田市が運行する「お太助バス」で行くことができる。今や、お太助バスこそ「地域の宝」なのである。
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