楠木正成の銅像は、いくつあるのか。湊川公園、皇居外苑に続いて、三つ目の大楠公像を見つけた。戦前・戦中の時代には「忠臣の鑑」と称えられ、日本人の象徴的な存在であった。その像があるのは奥河内、南朝ゆかりの古刹である。
河内長野市寺元の観心寺前に「大楠公像」がある。
台座には「大楠公 昭和九年七月十二日 植田謙吉書」との銘板がある。植田謙吉はこの後、関東軍司令官を務めることとなる軍人で、ノモンハン事件の責任を負って退任した。代わりというわけではないが、太平洋戦争に出征したのは、この銅像である。
昭和10年の「大楠公六百年祭」を記念して造られた銅像であったが、金属供出で失われ、昭和49年に再建された。戦場を駆ける雄々しい姿だが、ここ観心寺とのかかわりは正成の少年時代にある。
観心寺境内に「楠公学問所 中院」「楠家菩提所 中院」と刻まれた石碑がある。
偉人の伝記には、小さい頃から勉学に励むようすが描かれることが多い。楠公の前半生は謎に包まれているから、本当はどこでどのように勉強したかも分からない。
だがそれでは、我が国の将来を担う子どもたちの教育にならない。日本人の鑑だから、奮励努力する姿を見せるのである。浜田寿郎『少年楠木正成の精忠』大同館書店(昭和4)には、次のように活写されている。
(註)多聞丸=楠木正成 龍覚坊=聖瑜=多聞丸の師匠
観心寺に入ってからの多聞丸はそれは/\一生懸命でした。他の年上の坊さん達と一緒に、極めて規則正しい生活をしました。
朝は四時頃床を離れると、澄み切った谷川の水に口を漱ぎ、顔を洗ってから先づ仏様を拝みます。先生の龍覚坊に朝の挨拶がすめば、次に父母のゐます水分(みまくり)の方に向って、遥に心の中で朝の御挨拶をゐたします、それがすむと直ぐに掃除のお手伝ひ、雑巾もかければ、水汲もゐたします。あとは一人与えられた室に入って熱心に勉強ゐたします。朗に霽れた秋の日などには師の龍覚坊の許しを得て、厨裡から貰った麦飯の握飯と梅干を腰にして、南河内の山々谷々を奥深く駈け廻って身体を鍛えました。
多聞丸の人に勝れた生れつきの聡明と、倦まず撓まない勤勉努力の精神と、聖瑜の心を籠めた薫陶とは、遂に多聞丸をして立派な人としてしまひました。
これ以上ないかのような素晴らしさである。これを読んで大志を抱き、頑張った少年も多かったことだろう。その夢は戦争の中で潰えていくことになるのだが、それはもう言うまい。
境内に「観心寺建掛塔(たけかけのとう)」がある。国指定重要文化財である。
文字どおり「建てかけ」なのだという。大正15年発行の斎藤隆三『趣味の旅 古社寺をたづねて』(博文館)には、次のように紹介されている。
金堂から、左手に少しく離れて楠木正成建掛塔といふものがある。是れは建武年中正成が金堂再建の工を竣(を)へてから、更に三重塔の建立を企図し、造営の工を起したが、僅(わづか)に初層を造っただけで戦死せられ、遂にそのまゝで今日に遺されたものと伝へられてある。
確かに、軒下の複雑な木組みが、多層塔の初層を思わせる。塔の完成を見ることなく討死した大楠公。さぞかし悔しかったであったろう。
とはいえ、実は文亀二年(1502)の再建で、正成の時代の建築ではない。しかも、次のような指摘もある。笹川臨風『趣味の旅 古跡めぐり』(大正14、博文館)より
今観心寺に、建立しかけて出陣したと伝へられる多宝塔の第一層のみ、藁葺の侭(まま)現存してゐるが、事実は上層が火に焼けたのである。
火災ではなく洪水だとも言われ、いずれにしても大楠公の建築ではないようだ。では、国宝のこの建物はどうだろうか。
「観心寺金堂」は和様を基調としながら、禅宗様、大仏様を取り入れた折衷様であり、中世を代表する建造物だそうだ。南北朝時代の建物だから、寺伝のとおり楠木正成が建立に関わっているのかもしれない。
境内に「楠木正成首塚」がある。
正成は建武三年(1336)、湊川の戦で奮戦のすえ自害した。その首は六条河原でさらされたが、以前にニセ首の出現があり、このたびも「あやしい」との声があった。
そこで、この首こそまさにホンモノと、次のような狂歌が添えられていた。『太平記』巻第16「正成首送故郷事」より
疑(うたがひ)は 人によりてぞ 残りける まさしげなるは 楠(くすのき)が首
首級は、情に厚い足利尊氏によって河内の遺族のもとへ送られ、菩提寺である観心寺に首塚が築かれたという。
楠木正成の生涯は、日本人のメンタリティに大きな影響を与えた。若き日の努力が人を成長させること。主君には真心を尽くして仕えること。頑張ることに美しさを見出す我が国の気風を体現するかのような生涯であった。
功成り名遂げたのち、社会貢献として三重塔建立を企図したものの、志半ばにして戦場に倒れる。あくまでも伝説に過ぎぬかもしれないが、上層のない建掛塔を見ていると、正成の無念が伝わってくるような気がする。
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