絵にも描けない美しさという竜宮城。もちろん行ったことはないが、似たものなら見たことがある。亀を助けていないので連れてってもらえず、運賃を払って特急ハウステンボスに乗り、武雄温泉駅で降りた。
武雄市武雄町大字武雄に「武雄温泉新館」がある。平成17年に国の重要文化財(建造物)に指定された。
一時期はかなり傷んでいたそうだが、平成15年に復元され、美しさがよみがえった。近くの旅館に着いた私は、地酒「天吹」をお伴に食事を済ませて、ライトアップされた新館を見に行った。
浦島太郎が水中で見た竜宮城は、おそらくこのように見えたことだろう。
浦島太郎が浸かった浴槽である。いや、一般客が使った「五銭湯」であった。
お風呂から上がったら、座敷でゆっくり休憩したい。至福の時だろう。
温泉の入口には竜宮門がある。新館を出て門を正面から見ることにしよう。
「武雄温泉楼門」がある。こちらも国の重要文化財(建造物)に指定されている。この竜宮城は誰が建てたのか。門の脇にある説明板(武雄市教育委員会H17設置)を読んでみよう。
武雄温泉の新館と楼門は、武雄温泉組(現在の武雄温泉株式会社)が、辰野・葛西建築事務所に設計を、清水組(現在の清水建設)に施工を委託し、大正三年(一九一四)に着工、翌四年に竣工しました。辰野金吾は唐津出身で、明治から大正期にかけての我が国の建築界における第一人者として知られています。この新館と楼門は、辰野の晩年の大作と言われる東京駅と同期の作品ですが、現存する中で数少ない木造建築であり、辰野の設計になる佐賀県内唯一の建築物です。また、正面に竜宮門をおく配置計画、複数の浴室と休憩室を一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要なことから、国の指定を受けました。
日本近代建築の父と呼ばれる辰野金吾の貴重な木造建築であった。東京駅は大正三年、こちらは翌四年の竣工である。辰野は東西で大仕事を成し遂げた。しかも二つの作品には、興味深い関係性もある。
東京駅のドームの天井には、干支(えと)十二支のうち8つの干支がレリーフで表されている。欠けているのは子(ね)、卯(う)、午(うま)、酉(とり)で、方位では東西南北を表す。これら4つはどこへ行った? 八角形のドームだから8つで十分…など、長く謎だったが、武雄温泉楼門に残り4つがあることが分かった。平成25年のことだ。
もうすぐ新年がやって来る。平成最後の干支は亥(い)つまりイノシシだ。方位でいえば北北西となる。『北北西に進路を取れ』という映画があったが、イノシシとは関係がない。それどころか武雄温泉にも全く関係がないので、ここらで筆を置くこととしよう。
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