「トランプ米大統領、貴殿はノーベル平和賞にふさわしい」とは、痛烈な皮肉以外の何ものでもない。いや、安倍首相は大統領に「平和賞にふさわしい政策を実行すべきですよ」と忠告したかったのだろう。さすがはドナルド&シンゾー、何でも言い合える親友である。
オバマ大統領は2009年のプラハ演説で、核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意を表明し、ノーベル平和賞を受賞した。就任1年目で実績がなく演説だけで受賞したことから、巷間では「ホンマ、有馬の温泉やがな」「何やそれ」「ゆーだけや」とささやかれたとか。
ところが今月、広島県大の平和活動サークルに、オバマ氏の直筆サインが入った折り鶴が1羽届いた。「1千羽目の折り鶴を共有することをうれしく思う」との手紙が添えられており、オバマ氏が平和を祈り続けていることが分かる。
広島市中区上幟町(かみのぼりちょう)の市立幟町中学校に「折り鶴の碑」がある。
折り鶴は健康、そして平和の象徴として知られ、原爆の子の像には各地から多くの千羽鶴が捧げられている。像のモデルとなった中学生は、この幟町中学校に在籍していた。生徒会による説明板を読んでみよう。
この「折り鶴の碑」は、日本各地からだけでなく、外国からもヒロシマに寄せられるようになった無数の折り鶴にこめられた平和への願いを、広島の子どもたちが受けとめた証しとして建立されたものです。
1955年、広島市立幟町中学校一年の佐々木禎子さんは、突然発病した原爆による白血病のため、12歳の短い生涯を閉じました。級友たちはその死を悲しみ、全国の子どもたちに呼びかけて、1958年、広島の平和記念公園に原爆の子の像を建てました。病床で生き抜く希望を折り鶴に託したサダコの物語は、やがて国の内外に広がり、多くの折り鶴が広島に届けられるようになりました。
それら折り鶴の一羽ずつにこめられた願いを、わたしたちは大切に受け継ぎます。そして、禎子さんの命日である10月25日には、ヒロシマの子どもの堅い意志をあらわすこの黒御影石の碑に折り鶴を置き、世界に平和を築く決意を明らかにします。
中学校では「折り鶴の碑平和集会」を開催し、平和への誓いを新たにしている。原爆の子の像の前では、修学旅行生が折り鶴を捧げ頭を垂れている。
平和集会を単なる学校行事に終らせてはならない。平和学習を70年以上前の原爆の悲惨さを知るにとどめてはならない。平和は常に現在の課題である。現実政治において近隣諸国とどのように平和を維持していくのか。若い人たちは、この課題にこそ向き合うべきなのだ。
オバマ氏が目指した「核なき世界」を実現するため、まずは祈ることから始めたい。折り鶴を折るのも祈りの一つだろう。誓いを新たに一歩前に踏み出すのだ。平和に向けての草莽崛起が今、求められている。
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