「本当にがっかりしている」桜田五輪相が金メダル候補選手の白血病公表に関して、こう発言して大騒ぎとなった。だが「治療を最優先にして」といういたわりの言葉もあり、マスコミの切り取り報道に問題があるという意見もある。
桜田氏の発言を不安視する向きは前々からあり、手ぐすね引いて待っている人々に「ほらきた」と喰い付かれたのかもしれない。とはいえ、政治家は言葉が命。いくら思いやりの気持ちがあっても、伝わらなかったらそれまでなのである。
本日は、歴史的な失言をものともせず首相にまでなった人物をレポートする。
広島市中区基町の中央公園に「池田勇人像」がある。現在の像は二代目で、先代の劣化により複製されたものである。
池田勇人は広島県出身の総理大臣だから県都に像が建てられているが、出身地はもっと東の竹原市である。大蔵官僚を経て、昭和24年に政界入りした。盟友の前尾繁三郎は台座側面の銘板で、池田の事績を次のように紹介している。
推されて衆議院議員に当選し、直ちに大蔵大臣として混乱せる戦後の財政を処理す。爾来常に台閣に列し、昭和三十五年自由民主党総裁ととなる。而して内閣を組織すること三度、寛容と忍耐を政治姿勢とし、所得倍増政策を推進して、邦家の隆昌を致す。在職四年有余、恰(あたか)も東京オリンピック大成功の時、遽(にわか)に病厚くして大任を辞す。
首相として所得倍増計画を打ち出したのは、あまりにも有名だ。「私はウソは申しません」とのセリフは、当時の流行語にもなったらしい。事実、高度経済成長を背景に国民1人当たりの消費支出は10年で2.3倍に拡大した。東京オリンピックも成功させるなど、今の日本人が憧れの眼差しを向ける時代を牽引した総理大臣だった。
その池田にも苦い思い出がある。吉田内閣の大蔵大臣だった昭和25年12月7日、参議院予算委員会での答弁が大変な波紋を呼んだのである。その答弁とは…。
御承知の通りに戦争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。
質問者は労働者農民党の木村禧八郎で、消費者保護の観点から池田が米価を上げようとする理由をただしていた。当時の米価は国際水準より安く抑えられていたので、池田蔵相は、生産者が国際競争に耐えうる力をつけるため、米価を国際水準に高めようとしたのである。
答弁の主旨は、こういうことだ。所得の多い人は高価なものを購入し、少ない人は安価なものを購入する。実際の消費動向では一般的なことだ。国際水準の価格に合わせれば、米は高価に麦は安価になる。そうすると、所得の少ない人は麦を多く食べ、多い人は米を食べる。そんな自然な経済の姿を私は目指しているのだ。
いやいや、経済の原則はそうかもしれませんよ。だけどね、大臣、誰だって米を食べたいじゃないですか。美味しくて白いご飯を食べて元気を出したいと思うのは、所得に関係ないんですよ。それをね、あなたは「貧乏なら麦を食べればいいじゃないの」と、どこかのお姫様のようにおっしゃいましたが、庶民に対するいつくしみが全く感じられません。大臣として不適格じゃありませんか。
案の定、池田はマスコミに喰い付かれた。答弁が「貧乏人は麦を食え」と新聞で報道されたのである。以後、弱者切り捨ての象徴的なフレーズとして戦後史に記憶されていく。しかし、これには伏線があった。火のないところに煙は立たない。
同じ昭和25年3月1日、大蔵大臣談話で「国家財政を建直すという基本政策のためには、中小企業者の五人や十人が倒産しても、自殺しても、いたしかたがない」と述べていたのだ。何を言い出すやらと、マスコミが待つのは当然であった。
失言はこれにとどまらない。吉田内閣の通産大臣だった昭和27年11月27日、五人や十人が倒産しようが自殺しようがの発言の真意をただされ、次のように答弁した。質問者は社会党右派の大物、加藤勘十である。
正常な経済原則によらぬことをやつている方がおられた場合において、それが倒産をし、しこうして、倒産から思い余つて自殺するようなことがあつて、お気の毒でございますが、やむを得ないということははつきり申し上げます。
これはアウトだ。現実には、これまでにもあったことかもしれない。しかし、今後の見通しを説明する言葉ではなかろう。弱者切り捨てそのものである。世論と国会は騒然となり、翌日に池田に対する不信任案が可決された。これは閣僚に対する不信任が成立した唯一の例である。
何かと物議を醸しながらも謝罪をしなかったのは、信念に基づく発言だったからだ。ウソをつかない、言葉に責任を持つ人であった。失言と指摘されるや直ちに謝罪するのは、定見のない事なかれ主義の政治家がすることである。
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