銀行と建築には深いつながりがある。銀行はお金を扱っているので信用第一である。信用には形がないから、それを建物で表現する。揺るぎない信頼には、堅牢な建造物が必要だ。かくして、銀行の建物は立派になったのである。
本日は銀行の銀行、日本銀行の建築から話を起こすこととしよう。
広島市中区袋町に「旧日本銀行広島支店」がある。市指定の重要文化財である。
昭和11年の竣工で、銀行建築の名匠、長野宇平治(ながのうへいじ)が手掛けた作品である。重厚で揺るぎない印象の建造物で、日本銀行にふさわしい。しかし、文化財としての価値はそれだけではない。説明板を読んでみよう。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾の強烈な爆風により、外形は残ったものの内部は破壊され、42人の犠牲者が出ました。
市内の金融機関はほとんど壊滅したため、日本銀行の内部を仕切り、各銀行が窓口を設け、8月8日から業務を開始しました。
爆心地から約380mという至近距離だったにもかかわらず、倒壊を免れたのは奇跡的ともいえるが、堅牢さの証明ともいえる。長野は辰野金吾の弟子で、他の作品には「旧日本銀行岡山支店本館」などがあるが、もっと凄いのは「旧台湾総督府庁舎」で、現在も中華民国総統府庁舎として使用されている。
被爆建物の次には、被爆樹木を訪ねよう。
広島市中区基町の広島城二の丸跡に「ユーカリ」がある。広島市登録被爆樹木である。
樹勢は今なお旺盛で、痛々しい過去があったとは思えないように見える。樹下に小さな説明板があり、次のように記されている。
爆心地から740m。ここで被爆しました。被爆して生き残っているユーカリはこの木だけです。
被爆から2か月後に撮影された写真では幹だけが残っているが、かくも見事によみがえった。植物の生命力に頭の下がる思いがするのは、私だけではないだろう。
「75年間、草木も生えない」と言われた広島。その75年目は来年だが、植物どころか人の営みも、過去を忘れさせるくらいに繁栄している。しかし、戦争の記憶は忘れてはならない。被爆した建物や樹木は、私たちが誓ったあの言葉を思い起こさせてくれるのだ。「過ちは繰り返しませぬから」という誓いを。