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今週末の土日に「第28回明石原人まつり」が行われる。地元バンドのコンサートや石器づくり体験、原人バーガーに原人ビールと、明石原人をネタにずいぶん盛り上がっている。なんと、原人化石探査ダイビングまで行われるそうだ。イベントの盛会を祈念して、原人ゆかりの場所をレポートする。
明石市大久保町八木に「明石原人腰骨発見地」がある。
明石原人は子どもの頃から気になっていた。というのも、直良信夫博士の物語をマンガで読んだからだ。特に印象に残ったのは、原人の骨が空襲で博士の自宅ごと焼失してしまう場面である。これは現代の考古学にとっても、誠に大きな損失であった。説明板を読んでみよう。
「明石原人」腰骨発見地
昭和六年(一九三一)四月十八日、当時、明石に在住の直良信夫(なおらのぶお)氏(元・早稲田大学教授)は、この付近の崩壊した崖の砂礫層中から、人類の腰骨を発見した。
腰骨は戦争中に焼失したが、昭和二三年(一九四八)長谷部言人(はせべことんど)氏(元・東京大学教授)は、ニッポナントロプス=アカシエンシスの名を与え、一般には「明石原人」と呼ばれるようになった。
昭和六十年(一九八五)三月、国立歴史民俗博物館の春成秀爾(はるなりひでじ)助教授(現・教授)を中心とする調査団は、この西側を発掘調査して、六~十二万年前の木器や石器の出土を確認した。
現在のところ、近畿地方でもっとも古い人類の遺跡の一つである。
平成十二年九月 明石市教育委員会
博士の発見した腰骨は、その石膏模型が残されていたことから、人類学の権威である長谷部言人先生の鑑定により、北京原人やジャワ原人と同段階の可能性があるとされた。「明石原人」の誕生である。ところが、研究が進んだ現在では、縄文時代以降の新人の骨ではないかと言われるようになった。
春成秀爾先生が発掘調査した西八木遺跡は6~12万年前と、近畿地方のみならず日本全体を見渡してもかなりの古さである。ところが、この説明板が設置された平成12年に大事件が起きた。11月5日の毎日新聞が旧石器捏造事件をスクープしたのである。これにより我が国の人類史は60~70万年前から、確実なのは3~4万年前までだと言われるようになった。
西八木遺跡はどのように評価されるのだろうか。考古学会では事件のトラウマからか、遺跡の年代測定はずいぶん慎重に行われるようになったらしい。ここはひとつ、原人化石探査ダイビングによる確かな証拠の発見に期待したい。
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