日本史教科書に登場する象は、北のマンモス、南のナウマンゾウである。しかし、我が国の人類史以前には別の種類の象がいたという。アフリカンサファリじゃあるまいし、ゾウが普通に闊歩する我が国の地は、どのような光景だったのだろうか。
明石市大久保町八木に「アカシゾウ発掘地」がある。
明石原人なら聞いたことがあったが、明石象もいたとは。ギャートルズのように原人は象を追いかけ回していたのだろうか。説明を読んでみよう。
アカシゾウ(アケボノゾウ)
昭和三五年(一九六〇)、当時中学生であった紀川晴彦氏がこの海岸の崖からゾウの牙の化石を発見した。その後、同地点を一人で掘り続け、約六年間で九七点におよぶゾウの歯や骨の化石を採集した。昭和四一年(一九六六)には、大阪市立自然史博物館が発掘を引き継ぎ、新たな標本を加えた。これらの標本は同一個体であることがわかり、それをもとに初めてアカシゾウの全身骨格標本がつくられた。
アカシゾウは、今から約一二〇~一八〇万年前に西日本を中心に関東地方に及ぶ広い範囲に生息していた。今のアジアゾウやアフリカゾウと違いステゴドンとよばれる絶滅したグループに属する。体高は約一・五mとゾウとしては小型であるが、一mほどの長い牙をもつ。アカシゾウは現在では、アケボノゾウとよばれることが一般的である。
アカシゾウがいた頃の明石は大きな湖の岸近くで、メタセコイアやスイショウなどの木が生い茂っていた。
平成十八年三月 明石市
「岩宿の発見」のようなドラマだ。このブログでも「古墳で遊んで大発見」で小学生が青銅鏡の破片を、「中学生が発見した屋根石」で中学生が石塔の一部を見つけたことをレポートした。津山市では昭和57年に珍獣パレオパラドキシアの化石を中学生が発見したという。アカシゾウを発見し一人で掘り続けたという紀川くん、すごいです。
アカシゾウはゾウはゾウでも現生種とは異なるそうだ。アジアゾウの学名がエレファス・マクシムスであるのに対し、アカシゾウはステゴドン・アカシエンシスと呼ばれる。つまりゾウではなく、ステゴドンという恐竜みたいな名前を持つ、ゾウの親戚というわけだ。明石の地名が学名になって、地元も誇りに思っているだろう。
ところが、その後研究が進むとアカシゾウは、ステゴドン・アウロラエと呼ばれるアケボノゾウと同一種であることが判明したそうだ。かくしてアカシゾウは固有種ではなく「ご当地ゾウ」に過ぎないことになった。
このころの明石の地は、「古瀬戸内湖」のほとりに位置し、今よりも温暖な気候だったと考えられている。アカシゾウは現代のゾウより小型で、おそらく日本人好みだったと思われるが、気安く近付いては危険だ。1mの牙で突かれる恐れがある。しかし人類の到来はもっと後のことなので、この時代はおそらく、ゾウの楽園だったことだろう。
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