岡山県北の名門、津山高校の出身者でもっとも有名なのは、B'zの稲葉さんだろう。旧制津山中学時代なら、哲学者の出隆、総評議長の太田薫を輩出している。本日は、全国で活躍する津高出身者の誰もが誇りにしている建物を紹介しよう。
津山市椿高下(つばきこうげ)に「岡山県立津山高等学校(旧岡山県津山中学校)本館」がある。明治33年(1900)竣工の津山を代表する近代建築で、国指定重要文化財である。
格調高い雰囲気は、シンメトリーとバランスを重視したルネサンス様式に由来し、瀟洒な印象は、屋根上にある大小3つのドーマーウィンドウによるものだろう。
中央のドーマーウィンドウの後ろでは、クロイスターヴォールトという構造物が屋根の中央を飾る。また、窓には半月形のペディメントが付けられている。
いったい誰が設計したのだろうか。岡山県文化財保護協会『岡山県の近代化遺産』(平成17年)には、次のような記述がある。
設計者について、特定されてはいないが一つの説がある。それは明治18(1885)年から同25年まで文部省で学校建築を手がけ、「学校建築図説明及び設計大要」をまとめた、フランス帰りの建築家山口半六のデザインの影響下で設計されたものではないかと考えられている。そして、この設計に地元として幾分かのかかわりがあったのではないかとも言われているのが前述の柴山である。
山口半六の代表作は、熊本大学にある「旧第五高等中学校本館」や学都金沢にある「旧第四高等中学校本館」である。どちらも赤煉瓦が美しい明治建築だ。そして、津山中学本館の設計に地元としてかかわったと考えられているのは柴山節夫である。柴山は当時、津山中学の美術教師であったが、小学校建築にも携わっていた。
先生が自ら設計した校舎で生徒が学び、社会へ巣立っていった。そして今も「畏天敬人」の校訓のもと、有為な人材を輩出している。先日の十六夜祭は「爛然(らんぜん)」というテーマで行われ、大いに盛り上がったようだ。先生、先輩、そして自分。活躍の場となった学校。たくさんの思い出とともに、国重文の建物も誇りの一つにしてほしい。こんな学校はめったにない。
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