アベ応援団は真の右翼ではない。既得権益を守るのに汲々としているエゴ集団に他ならない。プラスもマイナスもない現状維持という意味では保守かもしれない。しかし、真の保守、真の右翼は変革を恐れない。我が国が連綿と培ってきた伝統的な価値観に照らして憂国の思いを抱き、現状を批判的に検証するのである。
価値観の軸となるのは「自主自立」だろう。対米追従など論外である。国家ありきの集団主義に価値を置くならば、「国家社会主義」を重んじるべきだろう。首相の権力維持のために忖度するのではなく、正義を重んじ公正公平な社会を実現するのが官僚の責務である。
米子市糀町二丁目に「西田税(にしだみつぎ)歌碑」がある。揮毫は税の姪で書家の西田眞理子で、平成四年の建立である。
市街地を流れる旧加茂川の河端は、下町情緒あふれる観光コースとなっており、歌碑にはその途中で出逢うことができる。歌を鑑賞しよう。
ふる里の加茂の川辺の川柳 まさをに萌えむ 朝げこひしも
税が獄中で詠んだ望郷の歌である。朝食から立ちのぼる湯気が映える食卓の光景だろう。彼は米子出身のエリート軍人だった。経歴も歌碑に刻まれているので読んでみよう。
西田税は明治三十四年十月米子博労町で誕生。長じて啓成校、米子中学、広島幼年学校を経て陸軍士官学校卒業。大正十一年八月朝鮮羅南騎兵連隊配属後広島騎兵連隊転属、大正十四年五月、病を得て退役。以後、国家主義運動に参画。昭和十一年二月二十六日、世にいう二・二六事件に連座殉難す。時に昭和十二年八月十九日、享年三十七。雅号天心。茲に有志相諮り郷愁の歌碑を建立し後世に伝える。
お墓を訪ねると「西田税」の名を見ることができた。
米子市博労町二丁目の法城寺の墓地に「西田税の墓」がある。税の墓は左側の新しい五輪塔で、右は退役した税が大正14年11月に建てた代々墓である。
五輪塔の塔身には次のように刻まれている。
二・二六東京事件の尊皇義軍首魁として殉難 五十回紀年
一九八六秋彼岸 眞理子建碑
税は二・二六事件の「首魁」と呼ばれる。実際に行動を起こしたのは青年将校だったが、その理論的指導者と位置付けられたのが北一輝とその弟子である税だった。憂国の士、税は昭和2年に「天剣党規約」という革命団体設立趣意書を配布したが、それには次のような一節がある。
国家ハ一、二私人ノ私有ニ非ス、一部階級者ノ支配スヘキモノニモ非ス、実ニ全国民ノ国家ナリ
今の日本は一部の特権階級によって私物化されている。これを全国民の手に取り戻さねばならない。税はそう主張し、軍が革命の主体となるよう呼びかけたのであった。「軍隊ハ国家権力ノ実体ナリ」と、税は軍の力に期待していた。
「日本を、取り戻す。」とは安倍自民党が政権を奪還した際のキャッチコピーだが、まさに今こそ、首相や私人であるはずの首相夫人による私物化から日本を取り戻さねばならない。国家権力の実体は国民である。憂国の思いを結集し、一人ひとりの投票行動で政治を変革しようではないか。
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