規模とか大きさというのは、権力の象徴になりやすい。人を圧倒するからだ。大規模になった桜を見る会に誰も疑義を呈さなかったのも、記録が美しいまでに消えていくのも、人が権力にいかに弱く、政府がいかに強い権力を有しているかを物語るものであろう。
現代なら、この桜を見る会や獣医学部が権力の象徴であるが、大昔はお墓であった。世界レベルではピラミッドや仁徳天皇陵古墳のような破格の巨大墳墓もあるが、本日紹介のお墓は驚くような外見ではない。どこが凄いのだろうか。
岡山市北区牟佐に国指定史跡の「牟佐大塚古墳」がある。
小さな丘のようだが、左手に回ると開口部がある。
巨大な石で石室が築かれている。雨風にも幾多の地震にも耐えてきた堂々たる構えである。真っ暗な石室内はまさに黄泉の国、イザナギのように逃げ出す羽目にならないか心配だが、勇気を出して入ってみよう。
ぬかるみを避けながら奥へ進むと、頑丈そうな玄室内に石棺が置かれていた。引き返して外にある説明板を読んでみよう。
牟佐大塚古墳は、県下三大巨石墳(総社市こうもり塚・倉敷市箭田大塚)の一つに数えられています。墳丘の規模は直径約30メートル、高さ約8.5メートル。南側には横穴式石室の羨道部が開口しており、石室内に入ることが出来ます。石室は花崗岩の巨石を用いた両袖式。羨道が玄室の約二倍の長さがあり、入口に向かってやや開く形状に特徴がみられます。石室の全長18メートル、玄室の長さ6メートル、幅2.8メートル、高さ3.2メートル、羨道の長さ12メートル。全国でも十指にはいる規模の石室です。
玄室内に復元長2.88メートル、幅1.6メートル、高さ1.5メートルの刳抜式家形石棺(貝殻凝灰岩製)が安置されています。40数キロメートル離れた井原市浪形山から運ばれた石材です。これら石室の構造や石棺などの特徴から、六世紀末に築かれた古墳と推定されています。
この古墳は、赤磐市と岡山平野、美作とをつなぐ交通の要衝に築造されているため、当地域の交通権を掌握し、広範な政治的まとまりを確立した有力者(国造層)の葬られている墓と考えられます。昭和五(1930)年、国の史跡に指定されました。
平成21年3月 岡山市教育委員会
黄泉の国に通ずるかのような巨大な石室は全国屈指の規模だという。そして、古代山陽道と旭川、つまり東西の陸運と南北の水運が交わる交通結節点に位置しているのだ。さらに、石棺の石材は遠方からのお取り寄せである。
権力を見せつけているこの上級国民の名前が分からない。上道(かみつみち)氏だろうと考えられているが、それ以上は不明である。まさか、名簿が偶然にもシュレッダーされてしまったからではあるまい。