各地にあるご当地富士のうち、富士山そっくり大賞は「蝦夷富士」の羊蹄山だそうだ。確かに画像検索でみられる山容は富士山と見まがうばかりだ。ポイントは傾斜角で、富士山が28度なのに対し羊蹄山は27度だという。さらに山頂部が少し平らに見えるのも条件で、羊蹄山は火山なので火口部がそのように見える。
本日紹介するご当地富士は、あまり知られておらず傾斜角も小さいが、山頂部は平らになっている。それほど高くないようだから登ってみよう。
岡山市北区建部町大田に「白石城址」がある。この山は「大田富士」とも呼ばれている。山頂部が平らに見えるのは、山城として削平され、本丸が置かれていたからだ。
なだらかな稜線は、とても山城には見えない。小ぢんまりとした美しい大田富士には、どのような物語があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
建部町指定文化財(史跡)白石城址
白石城は、室町時代の嘉吉年間(一四四一~一四四四)に、播磨から備前に進出した赤松氏に属した田淵氏光が築城し、永禄七年(一五六四)に五代城主田淵氏相(うじすけ)が、宇喜多勢に攻められ落城するまでの約一二〇年間、田淵氏の居城であったと伝えられている。その後金川城主松田氏・岡山城主宇喜多氏の支配を経て、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦で宇喜多氏滅亡後は廃城となり、美作への備えは対岸の建部陣屋へ移った。
白石城は、旭川と長谷川が合流するすぐ北にある比高約八〇メートルの急峻な独立山塊を利用して築城している。山上部を削平整地して本丸を置き、三方に下降する尾根上に計一二段の小郭を設け、北西斜面には放斜状の空掘り一四条と、その下方に山形に掘られた二本の大空掘りを配している。
城山の東西は川に挟まれ、山上からの眺望視野も広く小規模ながら均整のとれた山容とともに、天剣と地の利を合わせもつ要衝の地に築城された中世山城跡である。
白石城址保存会
城のふもとを、東西には備前市と高梁市を結ぶ国道484号が通過し、南北には旭川が流れている。まさに、交通の要衝に立地していたのである。ここを宇喜多直家が見過ごすはずがない。
大田地内の塚の鼻古墳に「田淵五世之墓」がある。文化十年(1813)に建てられた。墓のうしろに見える塚が古墳(塚の鼻第一号墳)である。
白石城は田淵氏が5代にわたって守り、はじめ赤松氏、次いで浦上氏の勢力圏の一部を成していた。プロ野球の田淵幸一さんもご子孫だとか。
富士山似の山容は優しく見えるが、尾根上に設けられた曲輪で防御態勢が整えられている。特に北西斜面の「放斜状の空掘り一四条」は畝状竪堀(うねじょうたてぼり)のことだ。敵の行動を制約し迎撃を容易にするため、上下方向の竪堀と土塁が波打つように設けられている。
南西方向の尾根にある曲輪である。岡山からの敵を迎え撃つなら、この方面だろう。
北方向の尾根には堀切があり、その上方には畝状竪堀の波打ちが確認できる。
標高150mほどで比高約80mの大田富士は、かわいく見えてけっこうガードが堅い。これを落とした宇喜多直家にはどのような魅力があったのだろうか。直家がイケメンだったとは聞かないが、息子の秀家はイケメンだったともっぱらの評判である。
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