ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。
2013年度新聞広告クリエーティブコンテストの受賞作品のコピーである。視点を変えれば別の世界が見えてくる。時に立場を変えて、いろんな感情があることに気付くことの大切さを教えてくれた。学校では道徳の教材にもなっているようだ。
岡山出身の作家、内田百閒に『桃太郎』という童話がある。「むかし、むかし、そのまた昔の大昔、ある所に、お爺さんとお婆さんがありました。」といつもどおりに始まるのだが、物語の主題は桃太郎の鬼退治ではなく、桃の実がその後どうなったか、である。なるほど、そうきたか。
岡山市中区国富二丁目に「内田百閒墓地」がある。
昨年生誕130年を迎えた内田百閒は、今の岡山市中区古京町で生まれた。墓碑には次のように刻まれている。
榮造(百閒)
明治二十二年五月二十九日生
昭和四十六年四月二十日歿
岡山中学校から第六高等学校という当時のエリートコースを歩んで東京帝国大学に進学した。夏目漱石に師事し、芥川龍之介とも仲が良かったという。童話から小説、随筆と幅広い作品を残した百閒だが、不朽の鉄道文学の一つとして知られるのが『阿房(あほう)列車』である。お墓の案内板にも「阿房列車」が登場する。
ほとんど岡山に帰らなかった百閒は、墓所のある操山の瓶井の多宝塔を、阿房列車の車中から遠望していた。古京の生家からこのあたりまでよく遊びに来ていた。内田家の4代のお墓がある。
百鬼園倶楽部
稀代の乗り鉄であった百閒には、故郷を通るたび、視界に収めたいものがあった。山陽本線の下り列車が百間川の鉄橋を渡るころ、左手車窓から操山の中腹に見える「瓶井(にかい)の塔」、それである。百閒の墓から山道を少し上ると、大きな塔が現れる。
同じく国富二丁目に「安住院多宝塔」がある。県の重要文化財に指定されている。
写真はさわっているうちに手彩色の絵葉書の風合いになってしまった。列車から見えても感激するくらいだから、間近で見る迫力は例えようがない。いつ建てられたのか、説明板を読んでみよう。
この塔は岡山平野を一望に収める瓶井山の中腹に建立された二層の塔婆で、宝形造の本瓦葺になり、総高二〇メートルを測る。下層は…(中略)。
上層は…(中略)。
この多宝塔は元禄年間(一六八八~一七〇三)に時の藩主池田綱政が後楽園の借景として建立に着手したと伝えられ、「みかえりの塔」として今日まで親しまれている。
平成元年六月
設置 岡山烏城ライオンズクラブ
監修 岡山市教育委員会
本当はもっと詳しいのだが、建築意匠に関することは省略した。下層には大日如来が安置されているという。重要なのは「後楽園の借景」とされていることだ。三名園の一つ後楽園は広いのだが、さらに雄大に見せるため、周囲の景観を取り込んでおり、特に多宝塔は借景のランドマークとして親しまれている。
帰り道、「みかえりの塔」だけに、その美しさをもう一度確かめようと振り返ったが、住宅にさえぎられて視界が狭い。遠く後楽園まで離れて眺めると、ちょうどよい景観になるのだから、借景はよくできている。美しい景観を百閒先生も私たちもまた借りて楽しんでいるが、いつの間にか心の豊かさという利息がたまってきたようだ。
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