「大都会岡山」という都市伝説があるが、これはアンジェラ・アキさんの中学生時代の印象が元ネタらしい。確かにイオンに行くとそれらしい雰囲気を感じることができるが、ウケをねらって失敗する面があるのは田舎者の証拠か。平成25年に岡山市長が「桃太郎市」と改名すると発表し話題になった。キャッチフレーズは「おしい!桃太郎市」で、これは香川県と広島県のパクリ(いやリスペクトか)だった。
実際には改名せず、高谷市長が鬼に操られていたとして謝罪し、「伝説の岡山市」という観光キャンペーンが始まった。まさに炎上商法である。その「伝説の岡山市」もすっかり過去となり、近年は「おかやま果物時間」という鉄板ネタをやっている。本日は岡山の中の岡山を訪ねたのでレポートする。
岡山市北区丸の内二丁目の岡山城跡に「岡山」がある。
県立図書館前から内下馬門跡を通ってここまでは平坦だが、鉄門跡から表書院のあった中段に上がり、さらに不明門から天守閣のある本段に進むと、ちょっとした丘の上にやって来たことが分かる。説明の碑文を読んでみよう。
城のある丘は岡山と呼ばれ、岡山の地名の起こりといわれています。
宇喜多秀家は旭川の川筋を付け替え、掘った土をこの丘に盛り上げて、岡山城本丸の土台をつくりました。
中世の旭川は幾重にも分かれてデルタを形成していたが、これを宇喜多秀家が築城にあたって本流と堀に整理し、城下町岡山の基盤を造った。城の完成が慶長二年(1597)だから、大都会岡山のルーツは、400年以上の昔にまでさかのぼることができる。
さらに調べると、「岡山」という地名はもっと前からあったようだ。江戸中期に成立した地誌『寸簸之塵(きびのちり)』には、次のように記されている。
岡山府と称せし初は、いつの頃か未詳ども、南朝正平の年の初め、上神太郎兵衛尉高直といふ者、備前岡山に在城せしよし、桜雲記に見えし。是岡山といふ名の見えし始なれば、その正平の年のはしめ簸川の流れをほりかへて、大島の地陸地となり、城をも築き、岡山と称しけるにや。夫より世々に繁昌の地となり、今に至れり。よりて此地の昔を按るに、岡山の城の本丸に、今も岡山と称する所あり。西丸を石山と唱へ其西に天神郭ありて天神岩といふもあれば、その大島といふうちに、はじめより岡山・石山・天神山とわかち称する所ありて、後世にその名残れるにぞ。
どこまでも平坦な岡山平野にあって、岡山・石山・天神山には坂がある。石山は山陽放送のある丘で、来年には社屋の移転が予定されている。天神山には天神山プラザがあり、奥に進むと大きな岩を今も見ることができる。
石山には宇喜多直家が築いた石山城があり、岡山には秀家が岡山城を築いた。そして天神山には戦前、岡山県庁が置かれていた。地形としての岡山は山ではなく丘のようなものだが、そこに政治の中枢が置かれたために、ずいぶん広大な範囲をカバーする地名となった。
このたびのコロナ感染拡大防止のため、県は瀬戸パーキングエリアで検温を行う。会見した知事はその意図を「岡山に来たことを後悔するようになればいい」と述べたという。さすが桃太郎市だけあって、鬼が金棒を立てて待ち構えているらしい。
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