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2020/05/05

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玉山

まるさま
ご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
小学校にはお休みの日に見学させていただきました。児童のみなさんは歴史を身近に感じていることでしょう。

まる

こんにちは、

コロナ戦国に生きる私たちもまた、そうなのかもしれない。景治の晩年、文禄の頃、この地域は毛利氏の領分で、その支配は盤石かに見えた。数年後の関が原により、さらに大きな変化を迎えると誰が想像できたであろうか。あたりを見回すと新見氏も三村氏も、そして毛利氏さえも消え失せていたのである。

この部分、まさしくですね。
ところで小学校は外部の人間も史跡を見に入れるのでしょうか?

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