皇后さまは今月11日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕始の儀」に臨まれた。蚕の品種は純国産種の「小石丸」である。高級だが生産性が低いため、御養蚕所の他にはあまり飼育されていないそうだ。本日はかつて日本の主要産業であった養蚕業の普及についての話をしよう。
鳥取県日野郡日野町黒坂に「養蚕記念碑」がある。「報緒形弘義君功労養蚕記念碑」と刻まれている。
幕末から明治時代、さらに昭和初期まで、生糸は我が国の輸出品目第1位だった。明治初年には茶も主力産品であり、以前の記事で「さしま茶」の功労者を紹介したことがある。地域の特産品には必ずパイオニアがいて、その顕彰碑が建てられていることがよくある。
本日紹介している記念碑は、養蚕業で地域発展に貢献した人物を称えている。我が国を地域で支えた功労者と呼んで過言ではないだろう。説明板を読んでみよう。
緒形弘義氏は、黒坂緒形家の分家の出。
明治初頭、養蚕製糸業を起こし、その発展普及に努め、疲弊衰微していた村勢の回復に大いに寄与した。
この功績を讃えて村民一同が建てた記念碑である。毎年収穫が終わった頃、村民は料理を持参してこの碑の前で感謝の集いをしたという。
黒坂緒方家は鉄山経営で栄えた地域の名家である。黒坂村は江戸期に福田氏による自分手政治が行われるなど行政の拠点であったが、地域における相対的地位は低下していた。そこで一念発起したのが緒方一族の緒方弘義である。
緒方は先進地の群馬県や長野県に学び、養蚕を地域の主要産業に育て上げた。蚕の品種改良に積極的だった鳥取県は、明治36年(1903)に我が国で初めてとなる「原蚕種製造所」を鳥取市に設置した。この時、県内に支所が三か所置かれた。すなわち倉吉町、米子町、そして黒坂村である。この地が県内三大都市に並ぶ位置付けとなっている。
緒形が学んだ先進地群馬県は今も全国最大の繭産地を誇っているが、鳥取県では養蚕農家をすっかり見かけなくなってしまった。現在の特産品は白ねぎなのだそうだ。
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