ツバキはうちにもあって、毎年冬には可憐な花を咲かせている。そのツバキのうち最古にして最大なのが岩手県の天然記念物「大船渡の三面椿」で、樹齢およそ1400年、根回り8mという巨樹だそうだ。本日はそこまでではないが、瀬戸内の港を静かに見下ろしている大きなツバキを紹介しよう。
三豊市詫間町生里に「川江家のツバキ」があり、香川県の保存木164として大切にされている。
花の時季ではないが、この青空と穏やかな海、それを覆うかのような巨樹。周囲の新緑も鮮やかに映える。訪れたのは昨年、黄金の十連休だったが、その頃は1年後にこんなことになるとは想像だにできなかった。どのような木なのか、説明板を読んでみよう。
このツバキは樹幹が真っ直ぐに伸び強度の剪定がないため、樹勢は極めて旺盛である。
そして、この木は原種のヤブツバキに近いが、園芸的に品種改良された晩生種であり香川県下でも珍しい。
樹高 九メートル
胸高幹周 三・一メートル
枝張り 東西七メートル 南北九・七メートル
大きさの測定は平成十二年五月八日に行われている。やはりこの季節には私と同じように、巨樹への関心が高まるのだろうか。大船渡の三面椿はヤブツバキだが、これもそれに近い品種だという。樹齢は分からない。
ツバキはおめでたい木で、「椿寿(ちんじゅ)」という言葉は長寿を表す。椿にとっては春と秋がそれぞれ八千年だそうで、もはや永遠に近い。そんなツバキと時間の関係を象徴する伝説がある。
八百比丘尼という800歳まで生きた女性がいる。ギネス記録も遠く及ばない超長寿である。長寿の秘訣は適度な運動とバランスのよい食事、そしてくよくよしないという、できそうでなかなかできないことではない。実は人魚の肉を食べるという、絶対にできないことであった。
800歳の時、八百比丘尼は若桜小浜の空印寺の洞窟に入って行った。この洞窟は古くから有名で、明治41年発行の観光ガイドブック『遠敷郡案内』には、次のように記されている。
後瀬山空印寺の総門を入りて進みたる突き当の山麓に巌石絶壁赤褐色の巌根に一古洞あり、八百比丘尼入定の口なりと云ふ、彼れは身体総白なるにより若狭の白比丘尼と称せられ雄略帝十二年に遠敷に生れ八百歳の長寿をなし遂に巌洞に入定したりと其入定に当て椿の枝を巌口に突き立て此の木の死せざる間は己も死せずと云へり後椿芽を生じ能く栄ひ居れり林羅山氏著社寺考に此事を記載しあり
確かに林羅山『本朝神社考』巻六「都良香」の条に「白比丘尼」が登場する。ここではツバキは登場しないが、空印寺の白比丘尼は洞窟の入り口にツバキの枝を突き立て、「この木が枯れなかったら私も死んでないからね」と言い残したという。ここには今も白いツバキが咲くというから、白比丘尼は今もご存命なのかもしれない。
八百比丘尼は雄略天皇12年の生まれだという。西暦では468年。入定したのは鎌倉時代ということになる。もし今、17,8歳の姿のまま白いツバキを手にして洞窟から出てきていらしたら、歴史アイドルとしてもてはやされるだろう。どんどん話を進めてしまったが、本日紹介の川江家のツバキは紅八重だそうだ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。