桃の生産量ランキング(平成29年)は、1位山梨県、2位福島県でこの2県がずば抜けている。3位長野県、4位和歌山県、5位山形県、6位岡山県でこの4県が中堅クラス、7位新潟県、8位香川県と続くが、全国に占める割合はわずかだ。
このうち量より質で勝負しているのが、くだもの王国岡山県だ。高級品種「清水白桃」は1個三千円以上の値段が付くとか。瀬戸大橋でつながるライバル香川県も負けてはいない。大玉の「なつおとめ」が有名で、毎年「桃喰うまつり」で種飛ばし選手権が行われていた。(口から飛び出るものが何かと気になる今年は中止となった。)
ライバルなのは果物だけではない。物語の世界でも本家争いをしている。桃太郎がどこで生まれようが、胸のすく思いをする勧善懲悪、立身出世のストーリーがあればよいのではない。菅新首相の出身地である秋田県湯沢市が花火で盛り上がり、法政大学が応援メッセージを出したことから分かるように、どこに生まれどこで活躍したかは関係者の成長戦略において貴重なチャンスとなる。本日は有名な岡山県ではなく、香川県の桃太郎伝説を紹介しよう。
高松市鬼無町鬼無の桃太郎神社境内にレリーフ「桃太郎の凱旋」がある。見事に鬼を退治したようだ。絵本の最終ページを見ているような、めでたしめでたしの雰囲気が漂う。
桃の図柄の鉢巻きと日本一の幟。これぞ桃太郎である。隣の石碑にストーリーが刻まれているので読んでみよう。
桃太郎伝説
女木島の洞窟を根拠とした鬼(海賊)は周辺各地に出没して非道の悪事を重ね住民は恐怖の毎日であった。
ちょうどその頃当地に立ち寄った気はやさしくて力持ちの桃太郎(稚武彦命)は悪い鬼のことを知るや早速退治しようと爺さん婆さんと一緒に住み援軍を募った。
犬とは備前の犬島、猿とは陶の猿王、雉は雉が谷に住む勇士だった。其のほか強力な軍勢を多く仲間にした桃太郎は婆さんが作ってくれたきびだんごを腰に女木島を目指し出撃した。
島では激しい戦いに成ったが桃太郎軍は大勝利を収めて無事凱旋した。後日鬼はあきらめ切れず逆襲して来たが、せり塚という所で一人残らず返り討ち全滅させて屍を埋めたのが鬼が塚である。そこでこの里を鬼無と言うようになった。
地元住民は桃太郎こそ本当に神様だとお祭りしたのが此処熊野権現桃太郎神社である。
たとえこれが童話であろうと心身共に健全に成長して善は栄え悪は滅びる世のならわし特に子供たちに大きな夢と希望を与える源であり桃太郎こそ人間構成の指針としたいものである。
具体的な地名が記され、鬼は瀬戸内の海賊であり桃太郎は稚武彦命(ワカタケヒコ)だったとの解釈である。鬼を全滅させたから「鬼無」になったという由来も記されている。なるほどとうなずかせるような説得力は、昔話ではなく伝説ならではの面白さだろう。
桃太郎は山積みの宝物を持ち帰っている。「凱旋」の象徴であるこのお宝は、降参した鬼が「うへー、もう悪いことはしません。これで許しを」と差し出したものだろうが、のちに桃太郎は鬼が反抗したとして全滅に追い込んでいる。「本当は恐ろしい」という童話は、グリムだけではない。
また桃太郎の正体はワカタケヒコであったという。この命は孝霊天皇の皇子であり、兄に全国を平定した四道将軍の一人キビツヒコがいる。岡山の桃太郎伝説ではキビツヒコが桃太郎である。出身が皇族であるためか、上記の碑文には、流れて来た桃の実から生まれたという異常出生譚は記されていない。しかし心配しなくてもよいようだ。
鬼無町鬼無と飯田町を結ぶ永代橋のほとりに「おばあさんの洗濯場」がある。やはり、これがないと物語は始まらない。
川の名前は本津(ほんづ)川。「川をきれいにしましょう」という看板が隣にあるので、桃が流れてきたら生ゴミとして処分されてしまうかもしれない。鬼を全滅した場所もあるので行ってみよう。
同じく鬼無町鬼無に「鬼ヶ塚」がある。
以前にこのブログで岡山の桃太郎伝説に登場する「温羅(うら)の首塚」を紹介したことがある。「鬼ヶ塚」はその香川版だろうか。説明の碑文を読んでみよう。
鬼ヶ塚の言い伝え
鬼ヶ島の戦いで桃太郎に負けた鬼たちはこの地のセリ塚でもう一度戦いをしてまた負けてしまいました。
その鬼たちをほおむり供養したのが鬼ヶ塚です。
平和になったこの地は鬼無の里と呼ばれるようになりました。
平成十二年八月 鬼ヶ塚保存会
新聞広告クリエーティブコンテストの2013年度最優秀賞作品のコピーは「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」だったが、ここでもそんな悲劇があったのだろうか。それとも悲劇さえも生じないような全滅という惨劇があったのだろうか。神社に戻って英雄たちのお墓にお詣りしよう。
桃太郎神社の境内に屋根で守られている古いお墓がある。「桃太郎の遺跡 桃太郎 爺婆犬猿雉之墓」である。英雄たちは平和になった鬼無の里で穏やかに暮らしたのだろう。ただ、皇子の墓にしては質素な感じがするが、ワカタケヒコが権威を好まない庶民的な人柄だったからだろうか。
神社から県道に出ると桃太郎神社の由来を記した説明板があった。そこにはなんと、桃太郎伝説の真相が明かされていた。読んでみよう。
熊野権現桃太郎神社について
この神社は、香西記・全讃史・讃州府志等によると、熊野権現が悪行を働く鬼の害を除き、鬼無しになった。
そこで祠を建て奉斎し遂に地名の由来となった。
また、その地名と鬼ケ塚などの遺跡に加え恵まれた風土は、昭和初期、橋本仙太郎氏により桃太郎伝説として大系づけられた。
社名は熊野神社であるが、昭和二十八年宗教法人となり、同六十三年御祭神を増祀、愛称を熊野権現桃太郎神社として、神社本庁の承認を得た。
祭神 伊邪那岐神・伊邪那美神・稚武彦命
昭和初期に橋本仙太郎という教育者によって「桃太郎伝説」が成立したという。「鬼無」というそれらしい地名は昔からあったものの、鬼を退治したのは桃太郎ではなく熊野権現だった。その言い伝えを橋本先生が、桃太郎伝説の中にうまく取り入れたのだろう。
これを捏造と呼んではならない。物語は常に進化している。人々に受け入れられた新たなストーリーは、それがあたかも昔から語り伝えられてきたかのように再話され、やがて伝説として定着したのである。昭和63年に増祀されたのは、おそらく桃太郎こと稚武彦命であったろう。愛称は熊野権現桃太郎神社と御祭神を並び称しているが、熊野信仰というより桃太郎伝説の聖地と化している。
鬼を退治するといえば『鬼滅の刃』が大ブームだ。イラストの得意な子どもが描くキャラは、ひところワンピースばかりだったが、すっかり鬼滅にとってかわられた。正義が勝ち、悪は懲らしめられなくてはならない。退治すべき鬼は確かにいる。伏魔殿のような政界にはウヨウヨいる。ネット上にも正義の刃を振りかざす鬼がいる。よく見ると自分の心にも棲みついているから始末が悪い。やはり桃太郎神社で心を清めたほうがよさそうだ。
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