手に負えないように思える案件を、サァーっと解決してしまう人がいる。凡人には不思議でしょうがない。「俺も頑張ったんだけどなあ。○○マジックにはかなわねえ」とかブツブツ言うことしかできない。本当は才能の差なのだが悔しいから、魔法なんか使いやがって、と気持ちを整理してきた。
プロ野球の監督にも、魔術師の異名をとった男がいる。三原マジックの三原脩監督である。そのライバルが水原茂監督である。二人は香川県出身だ。本日は両監督ゆかりの地からレポートする。
高松市番町一丁目の中央公園に「水原茂・三原脩銅像」がある。平成5年の建立で渡邉庄三郎の制作である。
長嶋・王なら現役時代をよく知っているが、水原・三原は私にとって歴史上の人物だ。まずは碑文を読んでみよう。
野球王国高松を築いた名将
水原茂・三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する。
ライバルは互いを輝かせる。ライバル不在の球界は面白くないだろう。政界もまた同じ。一強独裁に染まった自民党には何の魅力もない。菅・石破・岸田の三氏による総裁選はまったく形ばかりに終わった。一強に唯々諾々と従う者ばかりが増え、モノ言えば唇寒しの現状である。ピッチャーの速球をバッターが打ち返すように、政治家は議論をたたかわせねばならない。なのに「その指摘は当たらない」と議論を拒否する人物が明日首相に指名される。これでは納得も共感も得られない。分断はますます進み協調する気にもならないだろう。
話が独り歩きをしていたので元に戻すと、水原・三原最高の名勝負は、昭和33年の日本シリーズだ。水原率いる巨人は3年連続で西鉄との対決となった。今年こそ日本一と3連勝したはよかったが一挙暗転の4連敗。「神様、仏様、稲尾様」と伝説の見出しを西日本スポーツが書いたのもこの時で、栄えある優勝監督は三原であった。銅像はこの頃のユニホームである。
三原監督には、もう一つ印象的なエピソードがある。昭和35年、三原はそれまで6年連続最下位の大洋ホエールズの監督としてペナントレースに臨んだ。ここでも水原巨人を抑えてリーグ優勝。さらには下馬評の高かった大毎を初戦からの4連勝で下して日本一となった。まさに三原マジックである。
両雄の銅像がある中央公園は、かつて高松市立中央球場であった。プロ野球の公式戦は計10試合あり、直接対決ではないが二人が監督時代の西鉄や巨人、中日の試合も行われている。記録としてユニークなのは昭和24年の大阪タイガース対大陽ロビンス戦で、タイガースの別当薫が1試合3ホームランのプロ野球タイ記録(当時)と叩き出したことだ。外野スタンドのない狭い球場だったらしい。
今は静かな都市公園にも、かつて野球好きの歓声が響いていたのだろう。野球中継のアナウンサーがよく使う「野球は筋書きのないドラマ」は、三原脩が言い始めたのだという。大差のある試合での逆転劇はワクワクするし、人生に置き換えて自分の可能性にも賭けてみたいような気分にもなる。もしかするとマジックを起こせるのではないのか、そんなポジティブな勘違いも素敵ではないか。ということは、もう菅マジックしかない。政治は筋書きのないドラマだから…。