家を改築する際に、屋根を瓦葺からガルバリウム鋼板に替えた。屋根を軽くして耐震性を高めるためであったが、それ以上にお洒落な外観が気に入った。ただ今夏の猛暑でガルバの表面温度はとんでもない数値になっているはずだ。瓦葺では瓦を載せる土が断熱材の役割を果たした。ガルバの下にはもちろん断熱材が入っているのだが、とにかく今年は暑い!
岡山県久米郡美咲町原田の諏訪神社境内は「諏訪古墳群」であり、町の史跡に指定されている。
諏訪古墳群には、全長50m程度の前方後円墳、提砥(さげと)が出土した円墳の神社前一号墳、方墳の神社裏一号墳、開元通宝と天禧通宝が出土した鎌倉時代の経塚などがある。神社の西側にある前方後円墳に行ってみると、墳形が確認できるものの周囲の自然と一体化していた。
それよりも目を引くのは、神社正面に位置する「竪穴式住居跡」だ。昭和42年に復元された。かなり傷んでいるように見えるが、地元の方のお話では維持する費用に困っているとのことだ。説明板を読んでみよう。
住居跡
発掘調査はまず境内中央の神殿に向って正面に位置する住居跡から始められた。発掘が進むにつれて弥生時代の住居跡と思われていたものが、古墳時代の住居跡であることが判明してきたのである。この住居跡は直径八メートルに及ぶ円型の竪穴式住居跡で、普通弥生式住居は直径六メートル前後であるのにくらべ規模も大きく、しかも三回にわたって改造されていることも判明した。
住居跡は、八本の柱穴と内側の周囲をとりまく側溝や排水溝のほかに中央にいろりがあり、食物を貯蔵する貯蔵坑も備えられている。又、かまや鉄属の破片、その他土師器、須恵器が出土している状況から判断して四世紀末から五世紀初期にかけての古墳時代(あるいは弥生時代から続いた)住居跡とみられ、全国的にもめずらしいといわれている。
弥生時代の住居跡なら「弥生のニュータウン」で復元住居を紹介したことがある。古墳ばかりが注目される古墳時代では住居跡がスルーされがちだが、ここでは復元によって大きさを実感することができる。確かに全国的にも貴重と言えるだろう。
復元住居に入ると意外に冷んやりと感じることがある。茅葺の屋根に断熱効果があるのだろう。我が国の住居は屋根から始まったのだから、その工夫には長い歴史に裏打ちされている確かさがある。感心しながら、後ろを振り向いた次の瞬間、驚愕の遺物が目に飛び込んできた。
古代の遊園地である。ウソです。像の頭の上にある石碑には「原榮校遺跡」と刻まれている。「廃校六十年記念」とあるから卒業生によって建てられたのだろう。原榮尋常小学校は明治41年に統合により加美尋常小学校となった。この学校は現在もある。
このゾウのすべり台は、尋常小学校当時のものなのだろうか。とすれば、これはこれで貴重な教育遺産と呼んでいいだろう。いったい、子どもたちはいつごろからゾウの鼻をすべるようになったのだろうか。ここは住居のみならず遊具の発達史も研究できる格好の場なのである。