「はいからさんが通る」は、漫画を読んだこともないし映画を見たこともない。それでも南野陽子さんの歌だけは、今も脳内で再生することができる。大正ロマンの世界観を遺憾なく表現しているようだが、どうだろう。
私は夢想する。大正時代がさらに数十年続いていれば、我が国はもっと素敵になっていたのではないか。デモクラシーの発達、ハイカラな装い、夢二美人、そしてモダニズム建築。その後の破滅的な歴史を思えば、惜しんでも余りある時代であった。
津山市田町に「旧中島病院本館」がある。国の登録有形文化財である。
中島病院は今も隣で診療を続けている。私も調子を崩してお世話になり、娘は実習でお世話になった。このモダンな建物は現在、広く開放され観光の拠点となっている。どのような建物なのか、説明板を読んでみよう。
旧中島病院本館
大正6年に建てられた、津山で最も古い病院建築です。木造2階建て、基礎は御影石、外壁は小豆色のモルタル掻き落とし、人造石の柱や窓の枠飾りを配します。建物正面にはポーチが張り出し、その屋根はドーム状につくられています。ポーチの円柱にあるコリント式の柱頭飾りや窓の飾り枠などに、凝った洋風意匠が見られます。平成20年、所有者から津山市に建物が寄贈され、翌年から「城西浪漫館」として一般に公開されています。
平成22年 津山市
最近の住宅なら小豆色の外壁を見かけるが、百年以上前の建築である。コリント式の列柱の間から登場するのは、大正三美人と謳われた九条武子か柳原白蓮か。以前にレポートした旧竹田宮邸を思い出すような優雅さがある。中に入らせてもらおう。
ここが病院であったことを忘れさせる設えである。聞けば平沼騏一郎元首相も入院していたそうだ。多くの人々が健康を回復し、救われる思いをしたことだろう。大正6年の建築だから、7~9年のスペイン風邪流行にも対応したはずだ。
最近私は中耳炎になって耳鼻科に行った。発熱の場合は保健所に連絡を、という貼り紙に現場の緊張感が表れている。患者さんの多さには閉口したものの、看護師さんがひたむきに働いておられる姿に頭が下がる思いがした。百年前の方々も同じ使命感を抱いていたに違いない。
城西地区は昨年の12月23日に城東地区と並ぶ重伝建に指定された。旧中島病院本館は保存地区に含まれていないが、城西浪漫館として多くの観光客に親しまれている。願わくはコロナ禍が一日も早く終息し、密を気にすることなく大正ロマンに浸ることのできる場所となってほしい。
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