日本で一番標高の高い山城は、長野県にある楡沢山(にれさわやま)城とか贄川(にえかわ)城と呼ばれる城で、標高1760mだそうだ。そんなに高くても、城として機能していたのだろうか。敵が攻めるのも自分が立て籠もるのも、どちらも大変だったろうに。本日は岡山県で一番標高の高い山城を紹介する。
津山市大岩、奥津川、大吉の境あたりに「爪ヶ城(つめがじょう)跡」がある。三等三角点「爪ヶ城」がある。地理院地図によれば標高は1075.4mである。城跡を求めて上へ上へと進むうちに、いつの間にか1000mを超えていた。
展望所から左へ下ると「人類が戦国の世を終わらせた証し」で紹介した矢櫃城(やびつじょう)がある。爪ヶ城は単独の城ではなく、矢櫃城の出城のような役割があったようだ。説明板を読んでみよう。
矢櫃城跡(標高九一〇m)よりの峰続き広戸仙の一〇七五・五m地点にこの砦石があり、俗に詰ヶ城(後に爪ヶ城)と呼んで居り、字の如く最後の拠点とされたところといわれる。
「美作古城史」より
津山市
遺構は3条の堀切のみで、郭らしき削平地はない。堀切を越えて進めば1115mの広戸仙(ひろどせん)に行くことができる。
角川書店『岡山県地名大辞典』によれば、広戸仙は「中央部の最高峰を爪ヶ城(山)という」とのことだ。つまり、城跡としての「爪ヶ城」と山としての「爪ヶ城」は位置が異なるのである。
それにしても広戸仙の山頂部から敵が攻めてくるだろうか。最後の砦にしては、ちと狭すぎるように思えるが。いったい何のために爪ヶ城は存在するのか。展望所で考えることにした。すると…。
光芒が津山の市街地を照らしていた。光る筋は吉井川だ。まさに神の降臨、光の筋が作州の中心部を遠望できることを教えてくれた。これぞ爪ヶ城のレゾンデートルである。いくつかの山城を烽火の合図で中継して、敵の動向を知らせようとしたのではないか。高所にあれば見えやすいということだ。
この日は午後から出発し、金山谷林道登山口から入山した。城跡探索のつもりが登山をする羽目になってしまった。山城は登れば分かると実感できたことは予想外の収穫だった。いや何よりも、神が降りてきたことを、人生における僥倖というべきであろう。
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