自民党総裁選に候補が乱立。いいじゃないですか、それほど人材が豊富だってことです。前回は鉄壁と呼ばれたガースー氏に、雪崩を打ったように支持が集まった。異論を抑え込みコロナ対策に辣腕を振るう強力なリーダーとして期待されたはずだった。しかし、官房長官時代のキレはまったく消え去り、生気のなさだけが目立つようになって退陣する。
どこが誰を支持するのか。投票権のない人がほとんどなのに、この盛り上がりよう。まるで首相公選制が実現したかのようである。どの人に未来を託すか、今まさに我が国は岐路に立っている。いや分水嶺に立っている。民意という水が流れ向かうのは、岸田、河野、高市、石破、野田各氏のいずれなのだろうか。
水が分かれるのは山の上に限らない。なんと谷の中でも水の分かれる場所がある。名付けて谷中分水界という。さっそく行ってみよう。
丹波市氷上町石生(いそう)に谷中分水界である「石生の水分(みわか)れ」がある。写真の高谷川の右岸に沿って東西に中央分水界がある。見た目では分からない。
中央分水界だからここで分かれた水は、それぞれ太平洋と日本海へ到達する。左を差す表示には「瀬戸内海へ(約70km)」、右を差す表示には「日本海へ(約70km)」とある。左の高谷川へ流れた水は柏原川を経て加古川に流れ瀬戸内海へと出る。右に向かった水は暗渠に入って中央分水界を潜り抜けている。おそらく由良川水系の黒井川に通じているのだろう。水分れ公園のシンボルとして、あえてこのようにつくられたようだ。説明板を読んでみよう。
日本一低い谷中中央分水界
ここは、日本列島の背骨にあたる中央分水界が通っているところです。
ここに落ちた雨つぶは、二方に分かれて、一つは瀬戸内海(太平洋)側へ、一つは日本海側へ流れて行きます。
水分れ公園奥向山の尾根が平地へおりたところから、だいたい高谷川右岸(北側)を通り、新町(行者山東端)まで、約一二五〇メートルの間
海抜、一○○メートル前後で分水界を形作っており、日本一低い分水界として、有名です。
最も低いところは、新町交差点で標高九五・四五m、水分れ橋では、一〇一・〇四mです。
中央分水嶺で最も高所にあるのは乗鞍岳で実に3026m。分水嶺を越えるのはちょっとした日本列島横断気分で楽しいが、さすがに三千メートルの山は越すに越されぬ。いっぽう石生の水分れは95mほどで周囲との高低差もほとんどない。越えたという達成感はないが越えやすさは抜群だ。この特徴を活かして江戸時代には南北交易が盛んに行われたという。堀公俊『日本の分水嶺』山と渓谷社を読んでみよう。
氷上回廊は、高い山を越えることなく日本海から瀬戸内海にぬけられるため、南北の交易に利用されてきた。由良川の船便を使って内陸部へ運ばれた丹後の物資は、大分水界のあたりだけは陸路を使って加古川に運び、ふたたび船に積んで瀬戸内側へと運ばれていった。
それならいっそのこと日本海と瀬戸内海をつないでしまおうと、二つの川を結ぶ運河をつくる「松宮構想」があった。もちろん実際には日の目を見なかったのは、琵琶湖のケースと同じである。
なんと日本列島横断航路を開く構想があったという。トラック物流全盛の今日にあっては遠い昔の幻となってしまった。しかし、こうした夢を語ることは大切だ。総裁選に出ようとする人は、日本をどうしたいのか構想を語ってほしい。政策論争をしてほしい。野党のお株を奪うような論戦をして、自民党の懐の深さを見せつけるがよかろう。物言えば唇寒しの時代は終わったのである。
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