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歌川広重『東海道五拾三次之内 沼津 黄昏図』には、大きな天狗の面を背負った男が描かれている。金毘羅信仰を普及する道者だという。讃岐の金毘羅大権現は江戸時代から金刀比羅宮となった現代に至るまで、全国から多くの信仰を集めている。その信仰を示す金毘羅燈籠は、道行く人々の安全を守る常夜灯であった。
庄原市東城町東城の備中町胡神社に「金比羅大権現常夜灯」がある。
この地は旧国名では備後の一部だが、「備中町」という地名に意味がある。この町を流れる東城川は岡山県に入ると成羽川と呼ばれ、やがて備中第一の大河高梁川に合流する。東城は備中と水運で結ばれているのである。石碑の説明文を読んでみよう。
金比羅大権現 常夜灯
寛政十一年(一七九九)川船交通の灯台として大橋のたもとに建立
大正の初め川船は廃船、昭和初期(一九三〇年代)に世直神社へ移転
平成二十四年(二〇一二)東城の歴史・文化遺産としてこの地に戻りました。
平成二十四年十月吉日
上町自治振興区 備中町常会
写真を左手に進むと「大橋」がある。この常夜灯も元の場所近くに戻ってきたのだ。おそらく河川改修か道路整備で撤去され、神社なら似つかわしいと移されたのだろう。同じく東城町東城にある世直(よなおり)神社にも行ってみよう。
参道を上ると、次のように記された立札があった。
お知らせ
この場所に建っていた「金比羅大権現 常夜灯」は、平成24年10月に備中町胡社の敷地内に移転しました。
金比羅大権現 常夜灯は、東城川に川船が航行していた江戸期の寛政11年(1799年)、東城の繁栄を支えた商人たちが讃岐の金比羅宮に川船交通の安全を祈願して、備中町大橋近くの川岸に建立しました。 しかし、東城川の川船は道路の整備、自動車の普及により大正時代には姿を消し、常夜灯は灯台の役割を終え、幾多の変遷を経てから、金比羅宮を祀るこの地に移転されていました。
この度、貴重な歴史・文化遺産として後生に残すため江戸期に創建された場所近くに移転し新しい役割を担うことになりました。
皆様には、永年のご愛顧ありがとうございました。
寛政年間は名所図会が刊行され、人々の往来は活発になっていた。東城の地から川を下って瀬戸内海に出て、讃州多度津に上陸して金毘羅詣でをする人もいたのだろうか。現代なら東城駅から琴平駅まで鉄道が通じている。
その東城駅の芸備線は利用低迷が続き、今年8月からJR西日本は庄原市と新見市を結ぶ区間の今後の在り方を巡り、広島県、岡山県、庄原市、新見市との5者で協議を始めた。河川交通はダムの存在により復活することはないので、せめて鉄道交通だけはなんとか存続できないものだろうか。
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