大学の長距離の先輩がランニングの目標を「中原橋」とか「大原橋」とか言っていた。どれくらいあるのかと思ったら、中原橋までけっこうな距離だ。大原橋はもっともっと遠い。中原橋は桁橋でそっけないが、大原橋は重厚なランドマークだから走る目標にふさわしい。
岡山市北区玉柏の旭川に「大原橋」が架かる。
最近の橋は技術の進歩により丈夫になったためか、アーチやトラスなどのない桁橋が多くなったような気がする。大原橋は鈍い色のコンクリート製で、道幅も狭く時代を感じさせる。説明板を読んでみよう。
現在の大原橋は、昭和17年に総工費28万円をかけて建設されたものです。それ以前は木橋でしたが、昭和9年の室戸台風により流失しま した。
西側にはコンクリートローゼと呼ばれるアーチ型の橋が9つ連なっており、東側には鉄製のトラス橋が接続しています。コンクリートローゼという構造は、戦時体制による鋼材不足のために長野県技師であった中島武氏によって1930年代に実用化されました。当橋も元々は鉄橋として建設される予定でしたが、鉄不足のため途中で変更されたとも言われています。
(看板提案:玉柏大原町内会・河本町内会・宮本町内会)
岡山市
昭和17年といえば戦時中だ。敗色こそ濃くなかったが、金属供出をしていたくらいだから鉄材を確保できなかったのだろう。ローゼ橋はアーチも桁も太く頑丈な構造である。金属に代わってコンクリートが使われた例は、以前の記事「コンクリートから船へ」で紹介したことがある。足らぬ足らぬは工夫が足らぬと工夫してできたのが、コンクリート船「武智丸」であり、コンクリート橋「大原橋」であった。
しかしコンクリートを代用扱いしてはならない。最近のプレストレストコンクリート橋は、あらかじめ(プレ)圧力をかけた(ストレスト)コンクリートを使用しているので、かなりの強度があるとのことだ。苦しい時代も豊かな未来もコンクリートのおかげで橋ができるのだ。
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