クラウドファンディングのクラウドは、ネット上の「雲」のことかと思ったら「群衆」という意味だった。人々から寄附を募って何かを成し遂げようとするのは、今に始まったことではない。奈良の大仏の造立にあたっては行基が勧進活動を行ったというし、鎌倉大仏でも民衆の浄財が集められたらしい。本日は橋を架けるクラウドファンディングのお話である。
鳥取市浜坂一丁目に「浜坂犬塚」がある。
石碑は昭和44年の建立だが、古くからの伝説のようだ。ハチ公のような忠犬だったのか、それとも桃太郎の家来として活躍したのか。説明板を読んでみよう。
浜坂犬塚
昔、浜坂の農民が旅人の難儀を見かねて、一本橋を大きな橋にかけ替えたいと考えた。そこで、橋建設の勧募趣意書の木札と竹筒を自分の飼犬の首につけて放した。旅人や村人が竹筒に銭をいれ、こうして集まった募金で新しい橋が建設され、旅人の難儀を救ったという。
この犬が死ぬと村人は、橋の近くに墓を造り「犬塚」として祀り、また、この橋を「犬橋」と呼ぶようになったという。
平成五年三月
鳥取市教育委員会
募金活動で活躍した犬であった。おそらく、人懐こくて愛くるしい姿をしていたに違いない。通りかかった人が「おお、よしよし」となでながら趣意書を読み、「そういうことなら、仕方ねえな」と竹筒にお金を入れたのだろう。なんとも微笑ましい伝説である。
説明文中の「旅人」とは但馬街道を往く人々で、この先砂丘を越えて東方へ道は続いていた。この話の出典を探すと、寛政七年(1795)に成立したという『因幡誌』第五邑美郡中郷浜坂村に、次のように記録されていた。
○狗橋
村の入口の小川に掛れる土橋の名也。昔は独梁を架けて往来しけるが此川小川なれども涯高くして甚危く行人難儀しけるが或年此村の民橋を掛けんと思い畜狗の頸に竹筒を繋ぎ橋建立寄附の事を書付けて狗を放したるに其狗彼独梁の本に踞りて往来を出迎へ耳をたれ尾を揺し声を作りて何となく求むる所あるが如くせし程に行人之を奇をし人々一文銭を彼の筒中に投ぜしに狗喜ぶ気色にて去り又行人を待つ。是の如くすること日を重ね月を経て其銭既に積れり。よりて主人土橋を作って今の世に伝へたり。希有の事と謂ふベし。後人狗の架けたる橋なればとて犬橋と名付しなり。其犬死して後其骸を其橋の辺に埋葬し一堆の塚を築き今に至て狗塚と云ふなり。橋より三十間上本道と大川との間の田土の中にあり。囲み一丈余高さ五六尺の小丘是也。法美郡法華寺村にも犬塚あり。其れと此と其名は同と雖其人に功あるは同日の談にあらず。凡狗の性たる恩を知り仇を酬ひ家を守て非常の人を不入よく盗を防ぐ。呉の李信純が黒龍(捜神記)陸機が黄耳(述異記)本朝守屋の捕鳥部万が白狗(日本記河内国)畑六郎左衛門が獅子犬(太平記)播州牧夫が二狗(播州狗寺故事)宇都右衛門五郎が狗(参州狗頭社の故事)当国当村の狗塚の故事皆畜類にして人意を解しよく事に応じ或は主の危難を救ふ如き和漢其例希なるものと云ふべし。
くーんと甘い声で鳴いておねだりしたのだろう。これでは道行く人は黙って通り過ぎることはできない。労せずして目的は達成できるのである。ほんまかいなと思わせるこの話は、唐土と我が国に伝えられる動物奇譚の一つなのであった。
黒龍は主人の危難を救い、黄耳は人意を解しよく事に応じた。本日紹介のクラウドファンディング犬は後者の類だが、残念なことにその名は伝わっていない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。