岩野泡鳴(ほうめい)という自然主義の作家がいる。文学史で聞いたことがあるが読んだことはない。どこの人かと思ったら、筆名にヒントがあるそうだ。泡は阿波、鳴は鳴門。徳島藩にルーツを持つ家の出身である。彼の詩碑が徳島藩領だった淡路島にあるので行ったみた。
洲本市山手一丁目の淡路文化史料館に「岩野泡鳴詩碑」がある。
泡鳴が生まれたのは阿波でも鳴門でもなく、ここ淡路島の洲本だったようだ。碑には故郷を思う詩が刻まれている。読んでみよう。
故郷の秋 岩野泡鳴
みやこ 遠く 立ちいで
帰り来てし ふるさと
ふるき ことの 思ひで
爰に 忍ぶ 橋あと嘗ッて 千鳥に さそわれ
いづる 月のちら/\、
むねも 散りし 小ながれ
いまに 残る 木ばしら第一詩集『霜じも』より
伴悦書
何気ない風景でも、自分のふるさとは格別だ。妙に記憶に残っている場所が誰にでもあるだろう。泡鳴はそんな思い出の場所に再会し、そのノスタルジーを詩に仕上げたのだ。詩碑の隣にある説明板を読んでみよう。
泡鳴の詩碑
自然主義文学の五大作家といわれてる泡鳴(岩野美衛)は明治六年(一八七三)洲本で生まれた。岩野家は、代々阿波藩蜂須賀家の江戸直参であったが、泡鳴の祖父のとき淡路へ移住した。十四歳まで家族と共に洲本で過した。泡鳴は、この近くにある日進小学校(現在の洲本第二小学校)を卒業した。
この詩碑は泡鳴生誕百十年にあたり泡鳴三男岩野真雄氏が来館されたのを機に建立した。碑の原字は「岩野泡鳴論」などの著者である龍谷大学教授伴悦氏が書かれたものである。
「自然主義文学の五大作家」とは、島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥、そして泡鳴のことだそうだ。リアルをどう描くかは文学永遠の課題であるが、どのような手法で描くかをめぐって、泡鳴は花袋をライバル視した。花袋の平面描写に対して、泡鳴は一元描写を主張したのである。『泡鳴全集』第10巻【描写論】「一元描写とは?」より
まづ小説にどういふ態度で現はれるかといふ事を云って見ると、作中に取扱った世界を、その世界にたづさはる諸人物の一人から見て行くのである。その一人はその作の主人公だがつまり主人公の内部から見たその世界が、作の材料でもあり内容でもある訳だ。
平面描写が出来事の表面をありのままに記述するのに対し、一元描写は主人公の視点から出来事を描く。主観を排除したところにリアルがあるのか、主観そのものが人間のリアルなのか。
主観を排除した平面描写では、出来事を読者が解釈しなければならず、薄っぺらい人物像となりがちだ。いっぽう一元描写では、読者は主人公の主観にどっぷり浸かることになるので、重い印象を受けてしまう。そこで読みやすさを考慮して生まれたのが「三人称一元描写」である。主人公の主観に寄り添いながらも、俯瞰的な視点で出来事を捉えることができ、現代小説のスタンダードとなっている。
そう考えてみると、岩野泡鳴が近代文学に残した足跡は実に大きい。神ならぬ私たち人間は、所詮主観でしか物事を認識することができない。その認識をすべて言葉にするなら、人間のリアルを描けるのではないか。傾聴に値する問題提起である。文学史の源流の一つは泡鳴にあった、と言ってよいだろう。
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