ダウンにフェザー、ダックにグース。快眠の皆様はよくご存知でありましょう。羽毛布団の話です。ダウンは大きく「グース」と「ダック」に分けられます。グースはガチョウで、ダックはアヒル。グースの方が高級です。
ガチョウもアヒルもカモ目カモ科。どちらもカモの仲間で、マガモはアヒルの先祖である。カモは「鴨」と書くが、「鳧」とも書くそうだ。歩く姿を表しているのだろうか。見たこともない漢字で読めない。
笠岡市笠岡の古城山公園の西麓に「関鳧翁(せきふおう)の墓」がある。「関鳧翁之墳」と刻まれているようだ。
説明板がなければ通り過ぎただろう。いったいどのような人物なのだろうか。読んでみよう。
市指定史跡 関鳧翁の墓
関鳧翁は本名を関藤政方(まさみち)という。還暦を迎えたころから鴨の鳥毛入りの服を着るようになり鳧翁と号した。
天明六年(一七八六年)吉浜村に生まれ、京に上り医学や和歌を学んだ。文政年間には笠岡の石橋町に出て医師を開業。歌人として活躍し、多くの歌集を残したほか、「梅歌千首集録」を吉浜の菅原神社に奉納した。また、国語学者でもあり、著書『傭字例』は当時の音韻学研究のうえで最先端の業績として知られる。 万延二年(文久元年・一八六一年)、七六歳にて没する。
墓碑には辞世の歌「わか魂の行へはいつくしら雲のたたむ山への松のした陰」が刻まれている。
昭和四十八年六月二十八日指定
笠岡市教育委員会
名字は「関」かと思ったら「関藤」であった。調べると「江戸城無血開城のお手本」で紹介した関藤藤陰の兄である。「鴨の鳥毛入りの服」を着たことから「鳧翁」と号したという。
医師にして歌人、さらには音韻学の先駆者で、日本語の音の韻尾「ン」と「ム」との区分を明らかにしたというが、私にはよく分からない。辞世の歌は墓碑の左側面に「和家魂乃行へ盤いつく志ら雲能 たゝむ山へ乃松農し多陰 政方」と万葉仮名交じりで刻まれているらしい。
一般的にダウンジャケットはアメリカのエディー・バウアー氏が1936年に開発したとされているが、鳧翁先生の「鴨の鳥毛入りの服」のほうがよほど早いのではないか。鳥羽ではなく鳥毛というから、フェザーではなくダウンを使用していたと考えられるが、どうなのだろう。
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