そういえば昔、国民総背番号制に反対する声が大きかったが、いつの間にかマイナンバー制度ができている。マイナカードの保険証利用など、今後ますますマイナンバーは定着していくに違いない。そのうち「おい、~番」と呼ばれるようになる…なんてことはないだろう。
総社市上林(かんばやし)に未指定史跡「緑山古墳群」(全19基)がある。南側から登る丘陵の尾根に沿って、横穴式石室をもつ円墳が並ぶ。写真は「4号墳」である。
入口の天井石が重厚で安定感がある。この古墳は『吉備郡史』巻上第十四章「吉備郡に於ける古墳」に掲載の「緑山四ノ𡉕」に該当すると思われる。そこに石室展開図が描かれているので、内部の様子を知ることができる。両袖式のようだ。
4号墳からしばらく先へ進むと、天井石が少し失われた「6号墳」がある。中に入ってみよう。
見事な石積みで、袖部は両袖式である。
すぐ先にあるのが「7号墳」である。『吉備郡史』では「緑山二ノ𡉕」に該当するようだ。袖部は左片袖式となっている。
その先にある巨大な円墳が「8号墳」である。『吉備郡史』掲載の「緑山一ノ𡉕」らしい。袖部は右片袖式とのこと。この古墳について『わたしたちのふるさと「総社」歴史と文化財』には、次のように記されている。
八号墳は緑山古墳群の中でも、最も大きい古墳といえます。
吉備の国の勢力の強さを誇る牟佐大塚古墳(一八・〇メートル)・こうもり塚(一九・四メートル)・まぼろしの「亀山塚」(一七・九メートル)・箭田大塚(一九・一メートル)などの巨石墳についで、吉備地方では第五位の大きさです。
吉備第5位とのこと。かなりの有力者だろう。8号墳、7号墳、4号墳、6号墳の順に大きく、一番古いのは6世紀中葉の6号墳である。4号墳,7号墳,8号墳は6世紀後半。後期古墳の到達点の一つ「こうもり塚古墳」と同時期である。
蝙蝠のお墓じゃないのに「こうもり塚」とは被葬者に気の毒だが、4号、6号、7号、8号と呼ばれるのは個性のかけらもない。被葬者一人ひとりは、かけがえのない存在のはずだが、人柄を偲ぶよすがはない。古墳総背番号制というのか古墳ナンバー制度というのか知らないが、もう少し何とかならないのか。