鮎は海で育ち、春になると川を遡上する。冷たく澄んだ水を求めているのだという。私たちも夏になると滝を見に行く。水音が涼を誘うからだという。いや、濁った俗界がいやになって、清澄な自然に浸っていたいからかもしれない。私は鮎になりたい。
兵庫県佐用郡佐用町上石井に「鮎返しの滝」がある。川が巨岩に吸い込まれていく。
この川の名は佐用川。千種川水系である。「鮎返し」の名の通り、さすがの鮎もこの激流は上れまい。似たような地名は全国にあり、地理院地図を「鮎返」で検索すると19件ヒットし、「鮎帰」でも19件ヒットする。
ここに鮎はいないが、驚くべきことに人魚がいたという。浜田洋『改定増補 佐用の史跡と伝説』「鮎返しの滝」の項には、次のように記されている。
昔、この淵に美しい人魚がいて、ときとしてあの大岩の上で遊んでいることがあった。通りかかる人があると、これをまねき寄せて遊びたわむれ、ついにはこの淵に引きこんでしまう。そして死骸さえも浮いてはこなかった。
いつのころか高徳な僧が来て、この話をきくと、長い間祈禱をして最後に特異な秘法を修して人魚を封じた。このたいへんな岩のどこかに、そのときこの僧の刻んだ梵字が残っているはず、という。
怖い怖い。誘い文句に引き込まれたが最後、滝底の淵に沈められてしまうという。これに比べて同じ人魚でも、ひと頃流行ったアマビエは、予言をして我々を導いてくれるのだから有り難い。
水の落ちる轟音ばかりが響き、何も考えられなくなってしまう。鮎は物理的な制約のため帰らざるをえないが、誘う人魚のせいで人は単に帰れないどころか、生きてさえ帰れなくなってしまうのだ。ある高僧のおかげで、今はそんな心配も遠い昔の話になってしまった。
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