口上芸といえば、西はバナナのたたき売りで、東はガマの油だ。生で見たことはないが、youtubeに出てるので手軽に見れる。筑波山に行った時、土産物屋に「ガマの油」を売っていた。わけが分からぬものは買わないと決めていたが、ここまで来て買わずにカエルのか、と四六のガマがささやくものだから、一つ買ったのがこれだ。
ガマの油って動物性油脂?って偏見があったことを正直に告白しておこう。ワセリン主体の清潔で本当に効能のある塗り薬だ。この冬はずいぶん助けられた。匂いはハッカ油のおかげで爽快である。
つくば市筑波の筑波山神社の境内に「光譽(こうよ)上人五輪塔」がある。
神社の境内に高僧の供養塔があるとはどういうことか。前々回の「連歌、初作品の歌枕」でふれたように、もとは神仏習合の筑波両大権現だったのである。説明板を読んでみよう。
光譽上人は、慶長十六年(一六一一)大和長谷寺・梅心院より筑波山別当知足院に入山した。上人は、大阪冬の陣、夏の陣で徳川家康公の陣中祈祷や軟膏をもってけが人の手当てにあたった。この頃から上人の薬は「陣中膏がまの油」として筑波名物となった。上人の働きは家康公に認められ顗陣の後、常在府を命ぜられ、軍配を賜り(筑波山神社所蔵)、芝白金に護摩堂を建て江戸城奥向きの御祈祷にあたった。
顗陣は「凱陣」の誤りだ。光譽上人はガマの油の元祖となったお坊さまであった。というより、戦国の世が続き衰退してきた筑波山を再び繁栄に導いた中興の祖であった。幕府からも手厚い保護を受け大寺院としての構えが整備される。
五輪塔の傍らの蝦蟇が可愛らしく思える。おのが姿のあまりの醜さに驚きタラーリタラリと脂汗を流す、という蝦蟇とは思えないガマくんである。筑波山は江戸期に寺院的な性格が強くなったことで、維新に際して廃仏毀釈の嵐に巻き込まれることになった。ガマくんが健在でよかった。
今日のように「ガマの油」が土産物として有名になっているのは、老舗旅館「筑波山江戸屋」の9代目当主吉岡茂夫さんのおかげでもある。写真のガマの油も江戸屋さんの発売である。吉岡さんは口上とともに膏薬を普及させ、観光振興に大きく貢献した。光譽上人の再来のような立派な方である。
大坂夏の陣から今年で四百年となる。大坂の陣400年天下一祭が大阪で盛り上がっているようだ。これに合わせて、今回の記事をガマの油400周年のお祝いとして筑波山に奉納させていただくとしよう。