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平家ヶ城が語る落人の悲劇

与那国島海底地形は古代遺跡とも自然地形とも言われている。巨石を組み合わせた人工の構造物に見えるが、方状節理による自然地形という反論がある。ムー大陸の遺構なら面白いが、自然地形で間違いないようだ。

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養父市大屋町横行(よこいき)に「平家ヶ城」がある。

ここは氷ノ山を源流とする大屋川に沿った谷で「横行渓谷」と呼ばれている。落人伝説が伝わるにふさわしい深い渓谷である。私が初めて訪れたのは、山に雪の積もる時季だった。名水「ぶなのしずく」までは問題なかったが、その先はスタッドレスでも無理で、歩いて平家ヶ城を目指した。行けども行けども白い道。雪を踏む音と川のせせらぎだけが聞こえる。どのくらい歩いたか、東屋と説明板に辿り着いた。天空に聳える岩が見える。適当な場所を選んで雪の斜面に挑んだが、どこに向かっているのか分からなくなり撤退したのであった。その折に見た説明板を記録しておこう。

平家ケ城跡
源平の戦い(屋島・壇ノ浦)に敗れた平家の残党の中で、由緒ある姫とその家臣の一行は播磨の国から、道谷峠をこえ、山奥へ山奥へと渓谷ぞいに逃れているうちに、段崖絶壁の地にたどり着きここに城(平家ケ城)を構えました。
そして、下流の小高い山の上に見張り場所(見手ケ城)を定め、もし源氏勢が攻めてきたときは、合図として幡をこの平家ケ城の方へ倒すよう指図をしていました。
こうして一行は、この地でしばらくは平和な日々を送っていましたが、ある日、見手ケ城に立てた幡が強い風で倒れてしまいました。これを見た姫と家臣達は、源氏が攻めてきたものと思い込み、もうこれ以上逃れられないと、城の下の深い淵(姫ケ淵)に身を投げたと伝えられています。

道谷峠とは播磨と但馬の国境、若杉峠のことだろう。車の通る今でも険しい峠だ。これを越えて急坂を下り、川沿いに山奥へと進むと横行渓谷に入る。この悲劇的な伝説をそのままにしておくのは無念だ。雪のない時季に再度チャレンジすることとした。

季節は春、進むこと能わずだった雪道は新緑の山道へと変わっていた。東屋近くに駐車すると、城に通じるであろう岩に取り付いた。

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城のある岩は垂直に立っており、手も足も出ない。生えている木をつかんでそろりと移動するが、下を見れば奈落の底だ。ここは勇気ある撤退しかない。そろりそろりと道へ下り、思案すると背後の山から登城できると気が付いた。

少し先の取り付きやすい場所から山へ入ると、場所を選べば難なく進むことができると分かった。前回の雪と木々に阻まれて進めなかった山の斜面は何だったのだろう。いよいよ城の背後まで来た。しかし、そこで目にしたのは…。

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中世山城のような堀切だが、両端は奈落の底へと続いているらしい。気を取り直し、木や岩の安全を確認しながら正面の岩によじ登った。

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岩の上は草木が繁茂しているが、比較的平らで横行渓谷が一望できる。追っ手の動きが見えるかのようだ。

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おそるおそる下を覗いてみた。道路の端をわずかに確認できる。どのくらいの高さなのか。敵に攻められることはなさそうだが、逃げることもできない。私は山のある方へ、そろりそろりと退散した。

見張り台のように屹立するこの岩は、背後の山と堀切を挟んでつながっている。確かに堀切に見える。しかし、実際は自然地形だろう。岩の頂上は平坦で周囲は垂直な切り立っている。おそらくこれも自然の造形美だろう。

城ではないが城に見立て、平家の落人伝説を絡ませて語る。それほどまでに平家は人の心を動かす。その平家とのゆかりが、横行の人々のアイデンティティとなり、誇りとされたのであった。


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