前方後円墳+竪穴式石室、円墳+横穴式石室という組合せはよく見かけるが、前方後円墳+横穴式石室は珍しい。見学する立場で言えば、墳形は前方後円墳がいちばん古墳らしく見えるし、薄気味悪い石室があるほうがドキドキする。つまり、いいとこどりの古墳である。さっそく見学することにしよう。
倉敷市真備町下二万(まびちょうしもにま)に「二万大塚古墳」がある。
全長38mという大きさが、一目で全体像をつかむのにちょうどよい。前方後円墳であることはすぐに分かったが、横穴式石室が見当たらない。よく見ると、大きな造り出しのある反対側の神社裏に穴が開いているのが確認できた。どうやら、この奥に石室があるらしい。説明板を読んでみよう。
倉敷市指定史跡
二万大塚古墳
平成17年12月5日指定
横穴式石室をもつ全長38mの前方後円墳で、6世紀の中ごろに築かれたと考えられています。平成13年から16年にかけて岡山大学による発掘調査が行われ、石室内の埋葬の様子や墳丘北側の括(くび)れ部に造り出しを持つことが確認されました。
後円部に南南西に開口する両袖式の横穴式石室は、全長9.1m、玄室長4.7m、幅は奥壁で2.5mを測り、比較的小ぶりの石材を5~7段に積んでいます。石室内からは、須恵器、土師器、鉄器(蕨手(わらびて)刀1点 鉄蕨、鉄釘、鎹(かすがい))、馬具(大型の馬齢(ばれい)、杏葉(ぎょうよう)、轡(くつわ)、壺鐙(つぼあぶみ)金具)のほか装身具として耳環(じかん)、玉類(ガラス小玉など459点)が出土しました。括れ部の造り出しからは人物埴輪、家形埴輪や多数の円筒埴輪、さらに須恵器が整然と並べられた祭壇状の施設となっていたことが明らかになり、この時期の葬送祭祀の様相を考える上で貴重な資料となりました。
これらの成果から横穴式石室をもつ前方後円墳では吉備中心部で最も古い段階の古墳であり、装身具などの副葬品から被葬者は朝鮮半島とも強いつながりを持っていたことがわかりました。
倉敷市教育委員会
6世紀中ごろの古墳時代後期には、前方後円墳が少なくなり、横穴式石室が普及していく。二万大塚はこの時代の典型的な古墳である。古墳の出土品で人気なのは人物や動物、家などの形象埴輪だ。二万大塚から出土した人物埴輪は、踊る人々のようなカワイイ系ではなく、頭と腕の破片である。
二万大塚は二万谷川が小田川に合流する付近に築かれた。南から北へと流れる二万谷川、西から東へと流れる小田川、両川の結節点という要衝に位置しているのだ。下道郡域の最高権力者に相応しい古墳であり、吉備真備の先祖なのでは、と空想を楽しむこともできよう。