琉球使節の江戸上りは,薩摩,長崎を経て下関から大坂まで海路であった。瀬戸内でも有数の港である鞆の浦にも使節の定宿があった。

将軍・家斉の襲封を祝って寛政2年に琉球から慶賀使が遣わされた。ところが,一行の楽人である向道亨は病に倒れ鞆で亡くなる。10月13日のことであった。まだ22歳の若さであったという。
今,鞆の浦の小松寺に行くと彼の墓碑があり,「璢球司樂向生碑」と刻まれている。福山藩校・弘道館の初代館長である山室如斎が哀悼の言葉を書いた。
異邦から来た客人,その死を悼む福山藩。琉球使節を身近に知ることのできる貴重な史跡である。
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