『太平記』での児島高徳の忠義ぶりはずいぶんと称賛されてきたが,南朝方で活躍した備前の武士は他にも多い。
岡山市西大寺松崎に「松崎彦四郎範家候墓所」がある。JR赤穂線に沿って斜面を登ると,その後裔の宅跡だという場所に五輪塔が建立されている。
範家は『太平記』巻十六「児嶋三郎熊山挙旗事付船坂合戦事」に,熊山で挙兵した高徳の甥として登場する。
「今木太郎範秀・舎弟次郎範仲・中西四郎範顕・和田四郎範氏・松崎彦四郎範家の主従十七騎で,足利方の石戸勢二百騎の中へまっしぐらに駆け入った。石戸勢は相手が少人数だとも知らず,一戦も交えることなく熊山南面の長い坂から福岡へ退いていった」とその活躍を描く。
熊山の南面,福岡,そして範家の墓所と,歴史の舞台となった場所を今日も赤穂線の電車が走っている。