京都に似た風情や古い町並みをもつ町を小京都いい,全国京都会議という組織まで結成されている。しかしながら,そこまで大仰ではないが確かに京都の要素を持つ古い町を紹介しよう。
瀬戸内市長船町福岡に「殿町(とのちょう)」という通りがある。
ここは,「備前福岡名所町,七口七井戸七小路」と言い伝えられ,中世山陽道随一の繁栄を誇った都市である。七小路とは,市場小路,上小路,下小路,西小路,東小路,後小路,横小路のことであり,他に横町,殿町がある。「小路」でありながら東西南北に伸びる広い街路,古い町並み,この町を「小京都」と呼んで差し支えないだろう。
この町は,吉井川の伏流水のおかげで豊富な水が得られた。町内の各地に井戸がつくられ「七つ井戸」と呼ばれ,今でも遺構が4か所残っている。
「七小路」に話を戻そう。小路の地名が初めて文献に現れるのは18世紀初頭で,「殿町」は「殿屋敷」と記されているそうだ。では,屋敷に住まわれた殿とは誰か?
正保2年(1645)3月,赤穂藩主・池田輝興(てるおき)は発狂して正室と侍女を殺害し改易となる。輝興は徳川家康の孫でもあり,ぞんざいな扱いはできない。宗家の岡山藩主・池田光政が身柄を預かり,ここ福岡の地に住まわせることとした。事件を起こしたとはいえ,殿のお膝元となった福岡は,整然とした町並みに整備され新しく路名も付けられた。
中世には守護所が置かれていたというから,町の原型はその頃にできていたのかもしれない。かくして極小の京都,備前福岡は誕生した。乱行の廃絶大名の功績といえるのかもしれない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。