生類憐みの令は悪法の代表格として有名だ。趣旨は動物愛護で結構なのだが、その運用が極端だったようだ。将軍綱吉の死後すぐに廃止されたことから考えても、その評判のほどがうかがえる。しかし、殺生を戒め命を大切にするのは仏教国日本の伝統でもあった。
宇治市宇治塔川に「浮島十三重石塔」がある。国指定重要文化財である。川の流れと山の緑に映え宇治らしい風景を形成している。高さが約15mあり、この種の石塔としては日本最大とされる。喜撰橋を渡って近付けば近付くほどその大きさに圧倒される。
この石塔が建立されたのは弘安9年(1286)。真言律宗の僧、西大寺の叡尊(えいそん)思円上人の社会事業、宇治橋再建に伴うものであった。鎌倉新仏教といえば、浄土系、法華系、禅系を中心に語られるが、旧来の勢力の活発な活動にも注目すべきだろう。石塔建立の様子を広橋兼仲の日記『勘仲記』(弘安九年九月十八日条、『増補史料大成』第35巻)から引用しよう。
思円上人河中可建立五重石塔云々、高浜前中島可立云々、石塔今日積船之上、率人勢引上之、見物非無其興云々
多くの人手が必要だっただろう。この塔の下には網代(あじろ)や漁具が埋められたという。生きとし生けるものの命を大切にする殺生禁断を叡尊は徹底して実践した。魚を捕ることがいかに罪深いことかを漁師に説いたのであった。徳の高いお坊さまのありがたいお言葉に漁師も困ったことだろう。
さしもの巨塔も宝暦6年(1756)の洪水で倒壊し河床に埋もれていたが、明治41年(1908)に福田海(ふくでんかい)の開宗記念事業として再建された。9層目だけは見つからなかったので補ったという。福田海は中山通幽によって開かれた陰徳積善の宗教団体で、牛豚などの家畜の供養でも知られている。
この日本最大の石塔は、鎌倉仏教における旧勢力の革新を象徴するとともに、生命尊重を語るうえで欠かすことの出来ない史跡である。
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