本当は恐い童話とか、本当は恐いわらべ歌というのがあるらしい。実は残酷だったり何かを暗示すると解釈されたりして、意外性があるところがウケるのだろう。今日扱うのは『通りゃんせ』である。歩行者用の青信号の音楽として有名だ。とおりゃんせ、とおりゃんせと横断歩道を渡るのを促しているうちはよいが、行きはよいよい帰りは恐いとなる。これでは安心して帰れないではないか。いや、歌詞の深読みをしようというのではない。
川越市郭町二丁目の三芳野神社の境内に「わらべ唄発祥の所」という石碑がある。「ここはどこの細道ぢゃ 天神さまの細道ぢゃ」と歌詞もあるので『通りゃんせ』発祥の地だとわかる。
三芳野神社が『通りゃんせ』との関わりについて、読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』(岩波書店)が地元の方に取材した内容を次のようにまとめている。
『通りゃんせ』の歌詞には<天神さまの 細道じゃ><御用のないもの 通しゃせぬ>とある。三芳野神社は「天神さま」を祭っており、「細道」は社殿に至る参道を指すのだろう。また、神社が城内にあったため、番所に詰める見張りの侍が一般庶民の出入りを禁止していたことも、歌詞の内容と合致する。
江戸時代、庶民が城内に入り、参詣できたのは年一度の大祭の時か、七五三の祝いの時だけだったという。<この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります>との歌詞も、当時の庶民の姿をよくとらえていると言える。
<行きはよいよい 帰りはこわい>はどうだろう。ようやく城内に入ったのに、見張りの侍の監視の目が鋭く、庶民がおそるおそる帰っていった様子を表した内容と考えれば、歌詞と歴史的環境との相関は成り立つ。
上の写真は三芳野神社の参道である。しかしこれには異説があり、小田原市国府津の菅原神社こそ『通りゃんせ』の舞台だという。やはり発祥の地の石碑がある。ここでは箱根の関所でのやりとりを表したものとする。そう言われるとそんな気がしてくる。
川越は『通りゃんせ』よりもむしろ『あんたがたどこさ』が発祥の地にふさわしいそうだ。それによると普通は熊本が舞台と考えられがちだが、「せんばやま」とは川越市小仙波町一丁目の仙波東照宮のある場所である。戊辰戦争時の官軍と地元の子どものやりとりとのことだ。
通説に対して異説が立てられる。そんな見方考え方もあったかと新鮮な発見がある。ここが歴史の面白さであろう。
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