城の起源は弥生時代の環濠集落にあるらしい。なるほど堀に物見やぐらは城郭の基本的な要素だ。今日は教科書でも見たことがある典型的な環濠集落を訪ねよう。
横浜市都筑区大棚西に「大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡」がある。周囲には港北ニュータウンが広がっている。
文化財保護法第93条第1項により、周知の埋蔵文化財包蔵地において土木工事等を行う際には届出をするよう義務付けられている。その結果、発掘調査が実施され遺構が発見されることがあるが、通常は記録保存して埋め戻し土木工事等が行われる。
この大塚・歳勝土遺跡も港北ニュータウン計画の土地区画整理事業に伴う遺跡の発掘調査の過程で明らかになった。この遺跡の意義について横浜歴史博物館発行の『大塚・歳勝土遺跡』は次のように説明する。
大塚遺跡は、1972(昭和47年)年から1983(昭和58年)年の間に3次にわたって発掘調査され、集落のまわりを溝で囲む「環濠集落(かんごうしゅうらく)」という弥生時代に特徴的な形をとるムラの全貌が明らかになりました。また、隣接する歳勝土遺跡は、1972(昭和47年)年から翌年にかけて調査され、弥生時代に伝わってくる「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」という形の墓が連なって営まれている様子が判明しました。大塚遺跡の住民の集団墓地と考えれています。
大塚・歳勝土遺跡は、弥生時代中期の環濠集落と墓地が一体となって発見され、関東地方における集落の全体像がはじめて明らかにされたきわめて学術的価値の高い遺跡であることから、1986(昭和61年)年に国史跡に指定され、約33,000㎡が保存・整備されています。
歳勝土とは珍しい地名だ。関東地方南部でカブトムシのことを「さいかち虫」と呼ぶことに由来するらしい。おそらく「さいかち虫」がたくさんいたのだろう。近年でもカブトムシはいるのだろうか。敵から身を守った弥生のニュータウンの周囲に広がるのが、自然と共生する現代のニュータウンであってほしいものだ。
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