ぐっさんを見る目を変えたのは大河ドラマ『新選組!』で永倉新八を演じてからだ。器用で面白い芸人さんとは思っていたが、そんなものではない。あの眼光にあの声音、永倉新八の人物像を見事に表現していた。
北区滝野川七丁目に「新選組永倉新八墓」がある。
永倉新八は北海道の小樽で大正4年に死去する。写真の墓は長男の杉村義太郎の分骨によって昭和4年に建てられた。ここは近藤勇の墓所であり、永倉等の尽力で新選組隊士の供養塔も建立されている。昭和3年に秩父宮家と新選組に最も縁故の深い会津松平家との婚儀、さらには昭和天皇の即位の大典があり、これを機に墓所一帯が整備された。
永倉新八の生家の子孫の方(新八は高祖父の弟の二男)は岡山に在住されており、岡山市南区飽浦にある松光院の長倉家墓所に「永倉新八供養碑」がある。
長倉家の墓は菩提寺の東京浅草清川町の金智山宝蔵院から昭和59年に移されたもので、手前の供養碑は平成7年に建てられた。碑文の前半部を紹介しよう。
武士の節を尽して厭(あく)までも貫く竹乃心一筋
新選組副長助勤 永倉新八源載之
この和歌は文久三年二月八日、若き新八が報国の志に燃えて幕府徴募の浪士隊に加わり、近藤勇、土方歳三らと共に上洛するに際し両親に贈ったものである。新八は天保十年四月十一日、松前藩士長倉蔵吉の嫡男として江戸下谷松前藩邸内の我家に生まれた。母は柳生氏、名は利恵子。神道無念流免許皆伝の腕前で新選組剣術師範を務めた新八の波乱の生涯は自伝「新撰組顛末記」に詳しい。法名、憲徳院義衛良行居士。
単に剣豪としての強さだけでなく、筋を貫く生きざまや新選組を愛する態度にファンは惹かれるのだ。北日本(小樽)、東日本(東京)、西日本(岡山)と永倉新八を偲ぶ地が分散していることがありがたい。
新八さま
本ブログをご覧くださり、誠にありがとうございます。
新選組の義と誠は、信念を貫くことが困難な現代にあって一層の輝きを放っていると思います。岡山新選組のご発展をお祈りしております。
投稿情報: 玉山 | 2013/06/29 22:37
ご紹介ありがとうございました。
板橋で今年11/17には新八100回忌法要を執行致します。11時からです。
投稿情報: 岡山新選組の新八 | 2013/06/29 19:40