どうも菊人形に興味が湧かない。スタイリッシュな雰囲気が感じられない。スタイリッシュな菊人形?イメージがつかめない。園芸細工としてはよくできており、伝統文化として観賞すれば、それなりの楽しみ方もあるのだろう。だが、つい『犬神家の一族』のシーンを思い出してしまう。むしろ、そんな因縁めいた雰囲気を楽しみたくなる。
文京区千駄木二丁目と三丁目の境に「団子坂」がある。写真中の街灯に「団子坂会」の文字が入れてある。地元の商店会のことだ。
「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったからとも、悪路のため転ぶと団子のようになるからとも言われているそうだ。普通は前者であろうが、絵になるというか漫画になるのは後者である。
この坂の上には、森鷗外、夏目漱石、高村光太郎という巨匠が居住していたそうだ。この坂には探偵小説の巨匠、江戸川乱歩もゆかりがある。乱歩初期の名作「D坂の殺人事件」(大正14年1月『新青年』初出)の冒頭部を読んでみよう。(引用元は春陽堂の江戸川乱歩文庫)
それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。わたしは、D坂の大通りの中ほどにある白梅軒という行きつけのカフェーで、冷やしコーヒーをすすっていた。
(中略)
さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だったところで、狭かった通りが市区改正で取り広げられ、何間道路とかいう大通りになってまもなくだから、まだ大通りの両側に、ところどころあき地などもあって、今よりはずっと寂しかった時分の話だ。大通りを越して白梅軒のちょうど真向こうに、一軒の古本屋がある。実は、わたしは先ほどから、そこの店先をながめていたのだ。みすぼらしい場末の古本屋で、別段ながめるほどの景色でもないのだが、わたしにはちょっと特別の興味があった。というのは、わたしが近ごろこの白梅軒で知り合いになったひとりの妙な男があって、名まえは明智小五郎というのだが、話をしてみるといかにも変わり者で、それで頭がよさそうで、わたしのほれ込んだことには、探偵小説好きなのだが、その男の幼なじみの女が、今ではこの古本屋の女房になっているということを、この前、かれから聞いていたからだった。
なぜ団子坂が舞台となっているのか。それは乱歩自身にこんな経験があったからだ。大正8年から翌9年にかけてのことである。『地域雑誌 谷中 根津 千駄木』其の七十七(2004年8月、特集/谷根千乱歩ワールド)掲載の文学講演会記録「父、江戸川乱歩」(平井隆太郎)から関係部分を引用しよう。
その後上京して、この団子坂で三人書房という古本屋を開いています。そこに母が嫁いできたわけです。
古本屋が儲からないものですから、まあ居候とよばれる人たちと相談してラーメンの屋台を神田あたりまで引っぱった。一晩稼いでくると結構収入があったようですが、実際のところ父がやったのは一日だけ。あとは仲間が引っぱって、食わしてもらっていたんですね。住む場所を父が提供していたから、それでよかったんでしょう。
写真を撮影した2004年には、立教学院創立130周年の記念行事として、「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が開催された。なぜ立教が乱歩なのかといえば、立教大学が乱歩の旧宅と土蔵、そして旧蔵図書や資料を所有していることによる。展覧会の図録を読んでみよう。
明治・大正とそれなりに近代化はとげたものの、関東大震災(大正12年)以前の東京や人々の暮らしは、まだまだ近世以来の古い雰囲気を色濃く残していた。のちの名探偵・明智小五郎も「D坂の殺人事件」で初めて読者の前に姿を現した時は、いつも「宿屋の貸浴衣」のような安っぽい棒縞の浴衣を着て、煙草屋の二階に間借りする、風采のあがらない一青年に過ぎなかった。大正の半ば頃を時代背景とするこの小説には前近代的雰囲気、下町趣味が濃厚である半面、他方では新たな変化の兆しも見て取ることができる。主人公たちの通う安カフェであり(ウェイトレスもちゃんといる)、アルパカの上着にズボンという刑事の「ハイカラ」な装いであり、電灯のスイッチの指紋捜査であり、「自動電話」による事件の通報等々だ。
「D坂の殺人事件」
菊人形で名高い団子坂界隈という、住宅地の郊外への発展に取り残され下町化しつつあった場所を舞台とする、古本屋の女房の殺人事件。明智の初登場も見逃せないが、下町的雰囲気と心理学、科学捜査、変態性欲等々の新奇さとの取り合わせが、一種独特の世界をつくりだしている。
そういえば横溝正史の作品も新旧の文化が混じり合った雰囲気がある。文化の潮目には斬新さと懐かしさが同居する。物語の背景には最適な環境なのかもしれない。
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