古代ローマの水道橋はその技術の高さを示す例として歴史の教科書に掲載されている。私はこの日の夕刻、碓氷峠から自転車でつづら折りの道を降っていたのだが、突然現れた水道橋にびっくりした。いや、水道橋ではなく鉄道橋だったのだが、見た瞬間に思い出したのが歴史教科書の写真だったのだ。
安中市松井田町坂本に「碓氷第三橋梁(めがね橋)」がある。国の重要文化財である。
近付いたら説明板があった。読んでみよう。
旧信越本線の碓氷第三アーチ
1.建設 明治25年12月竣工
2.設計者 イギリス人、パゥネル技師 日本人、古川晴一技師
3.構造 煉瓦造、アーチ橋(径間数4、長さ87.7メートル)
4.建設してからの歩み
碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しております。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。
昭和45年1月1日 高崎鉄道管理局 松井田町教育委員会
「アプト式」というのは子どものころ何かの本で読んだ記憶がある。ふーんという程度だったが、こうして坂を走ってみると、アプト式の必要性が実感できる。日本人技師の古川晴一は、あの有名な余部鉄橋も設計している。
古代ローマは技術に優れ芸術的な遺跡を多く残している。年数では比較にならぬとも、近代日本の遺産も誇るべき美しさだ。めがね橋の上は遊歩道になっている。晴れた日にもう一度来ようと思ったまま行けていない。横川駅に着いた頃はすっかり夜になっていた。