宗教に奇跡はありがちなことだ。イエスも弘法大師もマジシャンのように奇跡を起こす。奇跡を科学的に説明しようとする向きもあるが、信仰に理屈はいらない。信ずる者のみが救われるのだ。日蓮聖人もまた奇跡の人だ。様々な法難にも挫けず布教を続け、今日の日蓮教団の基礎を築いた。
藤沢市片瀬の龍口寺の前に「龍口刑場趾」の石碑がある。
石碑には何やら文字が刻んである。日蓮という署名が判別できる。これは「四条金吾殿御消息」という日蓮の手紙の一節である。
裟婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には龍口に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか。
文永八年九月廿一日 日蓮(花押)
ここ龍口寺は日蓮の四大法難の一つ、龍ノ口法難の霊跡である。正しい信仰のあり方を主張する『立正安国論』を幕府に提出して、他宗との対立を深めていた日蓮は、文永8年(1271)9月12日、訴えにより捕らえられる。続きは龍口寺のパンフレットを読んでみよう。
翌十三日子丑の刻(午前一時前後)に至り、日蓮聖人を土牢から引き出し、敷皮石(座布団状の石の上に皮を敷く)の上に座らせ、斬首の準備を整えた。このとき、日蓮聖人は、法華経の行者として、法華経に命を捧げることは、むしろ喜びであると、泰然自若として、題目を大音声で唱え、首の座についたという。
日蓮聖人の手紙には、このとき江の島の方から満月のような光りものが飛び来って、斬首役人は目が眩み、おののき、たおれたと記されている。伝説によると、このとき処刑に使われた蛇胴丸という名刀に、この光りものがかかり、三つに折れたともいう。いずれにせよ、幕府の使者が到着して、斬首の刑は中止されたのである。龍の口刑場へ連行されて、処刑中止となった人物は、歴史上日蓮聖人以外、誰も知られていない。誠に尊いことである。
境内に五重塔がある。明治43年竣工というから築100年くらいだが、「かながわの建築物100選」に選定されているだけあって実に美しい。
注目は龍ノ口法難のレリーフだ。斬首役人が見事に倒れている。光りものにやられているが、本当は日蓮の気魄に圧倒されたのかもしれない。
龍口寺を訪れたのは平成16年9月12日、龍の口法難会の当日であった。「難除け牡丹餅」の餅撒きもあった。この黒胡麻の牡丹餅は、龍ノ口に連行される日蓮聖人に桟敷の尼が差し上げたことに因む縁起物である。餅が拾えたかよく憶えていないが、今まで健康でこれたのも法難会に行ったおかげだろう。
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